20歳の若さで死亡「源頼朝の娘」生涯が悲運すぎる 婚約者の木曽義仲の嫡男を頼朝に殺されて病に

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その密談を聞いていた御所の女房がいて、大姫に義高が狙われていることを告げる。義高は女房姿、つまり女装して、周りを女房らが囲むかたちで、屋敷を脱出。馬を使い逃走するのですが、その馬の蹄には真綿を巻いて、音を消す念の入れようでした。

義高にずっと仕えていた海野小太郎という信濃出身で、義高と同じ年の少年は、義高が逃げたことがバレないように、義高の寝床に入り、もとどり(髪を頭上で束ねたもの)だけ出して寝ていたようです。

日が昇ってからも、海野小太郎は、普段、義高がいるところに座り、独りで双六遊びをしていました。

義高は双六が好きで、普段熱中しており、小太郎がその相手をしていたからです。これも、義高が逃げたことを少しでも隠したいという小太郎の涙ぐましい努力でしょう。よって、屋敷にいた人々もてっきり義高は普段どおりと思っていたようです。 とはいえ、いつまでも隠し切れるものではありません。夜になると、義高がいないことが発覚してしまいます。

義高の逃亡を知って憔悴した大姫

義高逃亡を知った頼朝は、たいそう怒り、海野小太郎を捕らえます。そして堀親家ら軍兵を派遣し、義高を見つけ次第、殺すように命じるのです。大姫は逃亡を知り、あわてるとともに、魂を消すと表現されるほど憔悴してしまいます。これが1184年4月21日のことです。

それから1週間も経たない4月26日、堀親家の部下・藤内光澄が戻ってきて、入間河原(埼玉県狭山市)において、木曽義高を討ったことを報告します。義高は埼玉のほうまで逃げていたのです。

義高が死んだことは、大姫には秘密にされましたが、すぐにわかってしまい、そのことを知った大姫は嘆き悲しみ、水も喉を通らない状態となってしまいます。姫の様子を見た母・政子も悲しみを深くしたようです。御所にいる多くの男女が義高の死とそれを悲しむ大姫を見て、哀れに思ったといいます。

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