沢木耕太郎が三浦一族の屋形跡で見た"2つの夢" 「飛び立つ季節 旅のつばくろ」からエッセイ紹介

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(写真:ilovealpha/PIXTA)

その階段を登り、さらにくねくねと続く幾層もの階段を登り切ると、木々のあいだに夏草の生い茂る平らな空間が現れる。

そこが、三浦半島の豪族、三浦氏の屋形跡たる衣笠城址だった。

意外に狭い。私たちが城に対して持っているイメージはもとより、山城と表現するのさえはばかられるようなスケールの小ささだ。

どうやら、それは三浦氏の屋形のあったところで、自然の要害に拠って城のような意味を持つものになったということらしい。

三浦氏と言えば、源平の時代、源氏側についたため一度は滅亡寸前まで追い込まれる。しかし、頼朝と共に源氏を再興するのに力を尽くした結果、鎌倉幕府において重きを置かれるようになる。が、今度は北条氏との権力争いに敗れ、日本各地に離散することになってしまうのだ。

いま、その屋形跡には、蟬の声が聞こえるだけで、私以外誰もいない。

二つの夢

以前、ある雑誌の記事で、国文学者の深沢眞二が、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」について、当時の「夢」は眠っているときに見る「夢」だけをさし、将来の希望という意味はなかった、と語っているのを読んで驚かされたことがあった。

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しかし、この衣笠の、夏草の茂る三浦氏の屋形跡には、源平の時代から鎌倉の時代を生きた「兵ども」の、夜見る「夢」ならぬ、野望としての「夢」がゆらめいているかのようだった。

しばらくして、汗も引いたので、衣笠城址を離れることにした。階段を降り、坂道を下りながら、さて、と考えた。

もし、いつの日にか、私が「横須賀線ちんたら旅」を書くことがあったとしたら、衣笠駅の項でどちらの話を取り上げるだろうか。無人の衣笠城址に立って、二度滅びた三浦一族に思いを馳せたことだろうか。あるいは、そこまで案内してくれたサッカー少年との会話だろうか。

たぶん、私は少年との会話を選ぶだろうなと思いかけて、いや、その両方を書けばいいのだと気がつき、ひとり笑ってしまった。兵どもの興亡の「夢」と、少年のサッカーの「夢」。二つの「夢」について書けばいいのだ、と。

沢木 耕太郎 作家

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さわき こうたろう / Kotaro Sawaki

1947年東京生れ。横浜国立大学卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。79年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、82年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞。その後も『深夜特急』『檀』など今も読み継がれる名作を発表し、2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞、13年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞、23年『天路の旅人』で読売文学賞を受賞する。長編小説『波の音が消えるまで』『春に散る』、国内旅エッセイ集『旅のつばくろ』『飛び立つ季節 旅のつばくろ』など著書多数。

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