「経済的に実家に依存」する33歳彼が語る"誤算" 「日本の一般企業で働けるか未だに自信がない」

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「国文学の枠組みの中でいろいろな分野に手を出そうとしていて、1つのことを極める学者タイプではないと判断されたのかなと。内部進学を諦めてエジプト行きを教授に告げたとき、大学院の先生からは『君はいろいろと興味が移っちゃう人だから……』と言われました。

普通は卒論で書いたテーマを修士論文でさらに深めるのが定石なんですが、僕は修士論文を卒業論文とまったく違うテーマで書いたんです。時代や分野を限定せず、幅広く研究する学者像が僕の理想としてはあったので。それで上の先生からの評価につながりにくかったのかなと思います。もちろん、そもそも研究の能力が低いと評価されたから進学できなかったんだと思いますけど」

海外の大学で日本語講師に

研究者の道に行き詰まりを強く感じた頃、岡村さんは友人から海外の大学で日本語講師として働く道があることを偶然知ったそうだ。

「日本語教育学会が海外の大学や教育機関の求人をホームページなどで公開していて、その中には日本語教師の資格がなくても、僕のような日本文学や日本語学といった日本語教育に関連する修士号を持っているだけで応募できる条件の求人もあるんです。海外で働く機会は貴重ですし、もっと広い世界を知りたいという気持ちもあり、挑戦してみようと思いました」

大学でTA(ティーチングアシスタント)の経験はあるものの、学部生時代から仕送りで生活し、それまでバイトの経験もほぼなかった岡村さん。働いた経験がほぼない中、数段飛びで海外で働き始める……というのは本連載でも過去に見られたケースだが、なじみのない異国で、しかも初めての就労に当然不安もあったという。

「ただ、研究者を再び目指すにしても一般就職を目指すにしても、海外の大学で働いた経験はアラサーから自分のキャリアを築いていくうえで、きっとプラスになるだろうなと考えていましたね。

当時27歳でいずれは日本に戻ってくるつもりでしたが、国内で日本語教師という仕事にも進みやすくなるだろうし、30歳前後からの再スタートも切りやすいだろうと思いました」

振り返ってみると、この時のことを「自身のキャリアについて深く考えなかったことを、今では深く後悔しています」と漏らす彼だが、仕事には真面目に向き合っていたようだ。

授業時間は学期や曜日によってまちまちだったが、岡村さんは会話や作文などの日本語教育のほか、エジプトの大学では主に文学史など日本文学についての講義を担当。日本への留学希望者の書類手続きや弁論大会の運営などの事務作業もしていた。

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