「登録している就職サイトからは塾講師の求人などがよく紹介されますね。年齢的にも選択肢が少ないなかで、適性があると評価されるなら、これまでの経験や経歴を少しでも生かせるような仕事として塾講師も悪くないとは思っています。ただ、面接でわりといい感触だった会社も最近落ちてしまって。いまの自分に何ができるのか、全然わからない状態です」
どれだけ多様性が声高に叫ばれても、企業の採用現場の本気度や覚悟のほどはかなり疑わしく、似たような実績・経歴なら、20代など少しでも若い人材を採用するものだろう。語学力があっても、若さがないと落とされがち……それが日本の就活だ。
「安定した生活を目指さないといけないとは思っていますが、結果的に27歳で一度は断念した研究者の道も諦めきれず……。10月に年1回ある日本語教師の資格取得に向けて試験勉強と並行しつつ、現在は実家を出てある大学に研究生として籍を置いています。今年1年間で博士課程に進学するか、就職するかを決めて来年につなげていきたいです」
焦燥感と不安にさいなまれる日々
そもそも人文系の研究者は博士号を取っても就職が難しいとされ、不安定な生活を歩む人も多いと聞く。大学教授ともなれば500万、1000万という年収を得る人もいるだろうが、20代で茨の道を目指したからこそ、岡村さんはそう簡単に諦められないのかもしれない。
「経済的には実家に依存している状態で、結婚して子どもが生まれた同世代の友人もいますし、『もう33歳なのに、何をやっているんだ』という焦燥感はあります。
博士課程に進んで自分のやりたい研究が評価されるようになれば、自分を納得させることもできると思うんですけど……。悲観的に考えても仕方ないと思いつつ、就職も研究もすべてダメだったらどうしようという不安が、どうしても湧き上がってきてしまいますね」
一般的に、多くの人は「一流になれない」「稼げない」など、自分の身の丈や将来のリスクを考え、頭のいい人ほどさまざまなことを途中でやめたり、軌道修正したりしていくものだ。本連載の1つの裏テーマになっている節もあるが、悩んだ末にそれぞれが下した決断は、意地悪な人から見れば「失敗」や「撤退」などに思えるかもしれない反面、QLCという発達心理学的な文脈では「成長」と形容される。
一方で、どんな業界でもやり続けていれば、やり続けているのだから結果的に残るということもある。
実家が商家だった南方熊楠は、興味の幅が広すぎて専門分野を絞れず、学位を取れないまま留学先ロンドンから30歳で帰国し、生涯ついに一度も働かなかったと聞いたことがあるが、筆者としては世の中そういう人もいたほうがいいと感じる。
結局どちらのパターンが、より自分の人生に満足できるのかは誰にもわからないことだが、岡村さんには今後も大いに悩みながら、自分の道を模索してもらいたいものだ。
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