生前の瀬戸内寂聴さんが60歳過ぎて挑んだ健康法 歩くようにしたら集中力が増し仕事がはかどった
しかし、今度はじめて私は一つの健康法に積極的に取り組んだ。理由は、『源氏物語』の仕事が、並大抵ではないとわかったからである。
円地文子さんが、『源氏物語』を訳している最中、二度も網膜剝離の手術をされた姿を思い出した。あの頃の円地さんより、今の私の方がずっと年寄りなのだ。この長丁場を耐えぬくためには、自分で健康管理をするしかない。
えいっと、ねじ伏せて、歩いてみた
そこで発心したのが歩くことであった。机にしがみついて、終日書きつづける生活は、体にいい筈がないのだ。寂庵から仕事場まで、丁度、大堰川添いの道を歩いて一万二千歩、それを道筋によって、五十分か、一時間弱で歩くのだ。やってみたら、実に気持ちがいい。
一時間が惜しくてたまらない気がするのを、えいっと、ねじ伏せて、歩いてみた。スニーカーに作務衣で素手で歩く。相当な早足だ。まだ、風景を楽しむゆとりはない。万歩計と時計だけを頼りに、ただひたすら歩く。苦しくなると不動真言を口ずさむ。これは呼吸法に適っていて、実に具合がいい。
一時間歩いたら、全身汗びっしょりになっている。今のところ、一週間に三度をめどに歩いているが、足腰は回毎に軽くなる。
いろんな路を試みて、思わぬ収穫がある。嵯峨野はまだまだ散歩道の宝庫だ。鶯の声を至る所で聞く。まだ幼い声だが、励ましてくれるように思うからいい気なものだ。
一時間損したように思っていたが、集中力がとみに増大して、仕事のはかはぐんとのびた。これで体が悪くなる筈がない。お金もいらず、仲間もいらず、一人てくてく歩くだけだから、誰に迷惑もかけない。わざとお金を持たないで歩く。途中でタクシーなんかに乗ったり、うちへ電話で助けを求めたりしないためだ。
寂庵の女の子たちは、そのうち、一緒に歩こうと言われるのではないかとビクビクしている。私はそんな残酷なことは言わない。独りで天地を所有しているようなあの壮大な解放感がこたえられないからである。 (一九九三年四月 第七十五号)
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