生前の瀬戸内寂聴さんが60歳過ぎて挑んだ健康法 歩くようにしたら集中力が増し仕事がはかどった

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そうかといって、独り暮しで老いを迎えた人は、その孤独と淋しさを訴える。

私は幸い家族の中で育ち、結婚して結構な家族と暮したのに、それを自ら放棄してしまい、もう四十数年も家族なしで過している。

それでも、いつも身辺に家族同様の、心の通いあう若い人たちに囲まれているせいか、淋しいと思う閑もない。

それに私は五十一歳で出家して以来、いっそう血族への愛を断ちきれている。道元がいっているように、出家者は世間も、家も、家族も捨ててなるものだから、血肉家族的な愛を捨てて、宇宙一家的な大きな愛を持たねばならないのである。その愛を仏教では慈悲と呼ぶ。 (一九九四年二月 第八十五号)

歩く

年より若く見えるし元気なのは、何か秘訣があるのかとよく訊かれる。実は、不規則な生活で、年中過労で、三百六十五日一日も休日もなく、睡眠時間は少く、北に南に西東と、年中飛び廻っていて、およそ健康法などに心も体も費やす閑などない。座禅を本気でやれば、体にもいいというが、私は座禅が下手で、体にいいというまで坐ったためしがない。
無我の境地に入れるのは、ものを書いている時だけで、これは背後から斬りつけられても、首が落ちるまで気がつかないだろうと思う。

医者には十年ほど前、心臓が悪いから、仕事は全部やめ、旅行や講演もやめ、六十歳の老婆らしくおとなしく暮らせと言われた。日本で一、二の心臓の大先生の御 宣託だからおとなしく聞けばいいのに、私はその時、暗澹として、

「六十の老婆らしく、何をすればいいのですか」

と訊いたら、博士曰く、

「庭の草むしりでもすることですな」

私は東京のその病院から帰る新幹線の車中でつらつら考えた。どうせ、いつ死ぬかわからない命なら、阿呆らしい、草むしりなんかするものか。

そこで、それまで以上に、私はじゃかすか仕事を引き受けて駈け廻り、夜も眠らず仕事をした。心臓の方がびっくりしたのか、あきらめたのか、それっきり何事もない。もちろん薬なんて飲んでいない。

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