2〜3月にツイッターの検索窓に大学名を入れるとわかりますが、4月の入学に先んじて「#〇〇大学××学科」のように進学予定の専攻名を記入し、同じ学科に進む予定の人、友達になりましょう、と呼びかけるパターンが最近は多い(遠隔授業が導入されたコロナ禍では、そうした関係が在学生どうしにまで拡大しました)。
もちろんそれ自体が悪いわけではないのですが、ひとつ間違えると、キャンパスで実際に会う前から「この人はきっとこういう感じだろう」という風に、相手のキャラを決め打ちしてしまいがちです。
そうなるとリアルで会った後でも、本人が「あらかじめSNSで『つくっていた』キャラ」を演じ続けなくてはいけなくなったり、逆に「想像していたイケてるキャラと違いすぎて、イタい」と見なされた人が排除されてしまったりする。
バーチャルな世界で「視覚だけ」を通じて知りあってから、後にリアルで聴覚や触覚を用いて相手を把握するようになるという(SNS以前にはあまり一般的でなかった)順番には、そうした隠れたリスクがあります。
みんなを「出会い系」状態に変えた検索タグ
本来友情とは、対面の場で一緒に過ごすうちに「なんとなく、コイツとは気が合うな」「最初はダサいと思ってたけど、意外にいいやつじゃん」という形で育っていくものでしょう。触覚的な対面での接触がそうしたアイデンティティの生成を肯定する、よい意味での曖昧さを持っているのに対し、活字も含めた視覚情報にはむしろ、その人のイメージを固定化しがちな性質があります。
平成の半ばにインターネットを使った「出会い系」のサービスが登場した際、多くの人が忌避感を持ったのは、「視覚情報で先にイメージをつくる→後で(交際目的で)実際に会う」という順番が、当時は異様に感じられたからでした。しかし今日のSNS社会では、ある意味で誰もが「出会い系ユーザー」のように人間関係を営んでいるともいえます。
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