大阪「維新」の挑戦は「中央支配」を打破できるか 「大阪政治攻防50年」から考える日本政治の未来
「大阪は日本の先行指標」
「大阪は日本の先行指標。大阪で起きることは、やがて日本で起こる」
現在の日本維新の会は2010年4月結成の大阪維新の会が源流だが、発足以来の中心メンバーの浅田均氏(現日本維新の会参議院議員会長)は、大阪出身の作家の故堺屋太一氏(元経済企画庁長官)から聞いたこの言葉が今も耳に残っていると語る。
大阪は日本全体の縮図で、見えにくい日本の現状を映し出す鏡であると同時に、現在の大阪を見れば、日本全体の将来の形や姿、今後の傾向や潮流を読み取ることができるという意味で、大阪は日本の先行指標、と堺屋氏は教示したのだ。
「商都・大阪」の戦後の興亡史をたどると、全国各地の状況と同じように、荒廃からの復興期を経て、関西経済も1960年代に高度成長期を迎えた。「繁栄の大阪」の頂点を示す象徴といわれたのが70年に開催されたアジア初の国際博覧会の大阪万博であった。
以後、低迷と衰退の道を歩んだ。公害の時代、東京への一極集中化、大阪の地盤沈下の後、90年代以降はバブル崩壊とその後の「失われた20年」で、凋落の下り坂が続いた。
堺屋氏の診断が正しければ、結党から12年余の政党・維新の軌跡は、将来の日本の先行モデルという役割を担ってきた部分があるかもしれない。維新が共通目標として強く意識してきたのは、「繁栄する元気な大阪」の復活、日本の軸として東京以外の選択肢となりうる「新しい大阪」の創造であった。底流には、退潮が続く「落日の大阪」と、東京の絶対優位による「ただの地方都市」という現実認識があったのは疑いない。
それが日本の先行指標だとすると、いずれ「落日の日本」と、先進国脱落の「ただのアジアの国」への凋落が待ち受けていることになる。維新の12年の挑戦の中に、成功例と失敗例の両方を含めて、「繁栄する元気な日本」の復活と、世界をリードする「新しい先進国日本」の立国を構想するヒントが潜んでいるとすれば、学ぶべき点は少なくない。
維新は2011年12月以降、大阪府と大阪市の両方の行政を担い続けている。その延長線上で、大阪が「繁栄する元気な新しい大都市」として再浮上する切り札と位置づけているのが、25年大阪・関西万博であるのは間違いない。開催まで残り3年足らずとなった。
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