大久保利通、意外にも「明治政府で迷走していた」訳 木戸孝允と西郷隆盛が仕切る体制が機能せず

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自ら身を引きながらも任せられずに影響力を持とうとした大久保に、「そもそも論」にこだわり一向に前進させることができない木戸。西郷はといえば、ダイナミックな動きは得意だが、ゴタゴタの調整役として輝きを発揮するタイプではない。

木戸と大久保の対立もあり、西郷と木戸のツートップ体制は機能不全に陥ってしまう。政治的空白が生まれることとなった。

「もうこれ以上、薩摩、長州に任せておくことはできないんじゃないか」

そんな声が諸藩から挙がるのは当然のことだろう。福井、徳島、熊本、米沢、彦根などの有力諸藩が欧米をモデルにしながら、議院の開設を主張し始める。

誰かが動き出せば、それに呼応して新たな動きが出てくるのが、政治というもの。立ち上がったのは、兵部省に出仕する長州藩士の野村靖と鳥尾小弥太という2人の若者である。停滞する中央の政治と有力諸藩の台頭をみて、彼らは彼らでこう嘆いたことだろう。

しがらみのない下の世代が台頭

「もうこれ以上、今の上層部に任せていては、薩長による政治改革は実現できないんじゃないか」

明治維新が20~30代で成し遂げられているように、膠着状態を破るのはいつだって、これから世に出る若者たちだ。20代の大久保と西郷が中央に打って出ようと奔走したのももはや昔のこと。しがらみのない下の世代の台頭が著しくなってくる。

野村と鳥尾は他藩に政権を握られることのないように、薩長による政治改革を早く断行しなければならないと考えた。つまりは「廃藩」である。

廃藩さえできれば、兵制を統一し軍事力を強化できる。2人は同じく長州藩から兵部省に出仕していた山縣有朋のもとを訪ねる。酒を酌み交わしながら、2人が廃藩について意見をぶつけたところ、山縣からすぐに賛同が得られたという。

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