「良かれと思って」発したその一言が致命的だった 若者に「期待しているよ」と言ってはいけない

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そんな姿勢を目の当たりにすると、それじゃ何にも得ることはできないぞ、と思わず言いたくなる気持ちはわからないでもない。

武勇伝を語ってもよいタイミング

少子化が進んだ日本において、若さの価値は上昇の一途をたどっている。若いというだけで優遇される局面が実に多い。極端な言い方をすれば、若いというだけで無敵なのだ。そんな状況でわざわざ苦しい道を選んでたくさん失敗しようと考える若者は少ない。「若いうちの失敗経験は貴重だった」と実感するのは、その若者が年を取ってから。30年後だ。

そんな若者を前に、どうしても何かしらの武勇伝を語りたくなったら、「相手が求めてくるタイミングまで待つこと」と「自分の経験語りに徹すること」をお勧めする。1つ目は解説するまでもないかもしれないが、2つ目は「しゃべりすぎないこと」とも言い換えられるだろう。

あくまで「自分はあのときこう考えていたから、こういう行動をした。そのことについて、今はこう思っている」というふうに、主語は「私」で徹底してもらいたい。大人はつい「だから君は」とか「今の社会は」とか言ってしまいそうになるが、おそらくそれらは言葉を受け取る若者にとって邪魔なだけだ。

 第2位は「君は将来何がやりたいんだ?」「人生は一度きりだぞ」である。

いよいよ、この辺りからいい子症候群の若者たちが感じる「圧」の度合いが増してくる。

こうした言葉をかける人もやはり、目の前の若者のことをとても気にかけているすばらしい人にちがいない。その心には、「少しでも早いうちにやりたいことを探し見つけ出すことが、人生を充実させる」という想いがある。

若者だってもちろんそんなことはわかっている。彼らだって、何かを見つけたことで変わっていく友だちの姿をきっと見ている。ただ、大半の人がやりたいことなど見つけられず、そこそこ妥協して生きているという現実も知っている。

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