養老渓谷で里山の再生に取り組むヨガ講師の挑戦 手つかずの日本の原風景を生かして地域活性化

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千葉県市川市出身の掘さんは1980年生まれ。高校から都内の音楽大学の附属校に進み、そのまま音大生となる。学生時代にブロードウェイから来日したマーチングとダンスをこなすプレーヤーの舞台に感動し、東京六大学のOB、OGらが立ち上げたカンパニーの創設メンバーとなり活動。ニューヨークで行われた「国際フリンジフェスティバル」にも出演し、ダンスソロを担当した。

アマチュアとして活動を続けていたが、同級生が卒業して教員になったり、就職したりしていく中で、掘さんは舞台に立ち続けようとオーディションを受け続ける日々が続いた。しかし、競争は厳しく、壁は高かった。気が付けば25歳を過ぎていた。

大学卒業後は指導者資格を取ってヨガ講師に

「2005年ごろですかね、ちょうどヨガが流行り始めていました。元々踊ることは好きだったので、思い切ってヨガの指導者資格に挑むことにしました。幸い、集中的に学んで資格を取得でき、ダンスは趣味、仕事はヨガという生活が始まりました」

そうはいっても、ヨガ講師だけで生活していくのは大変だった。高収入を得られるヨガ講師は一握りで、一時は民間企業でOLをやったこともある。それでもヨガ講師の仕事は続けた。やがて、彼女のレッスンが認められるようになり、

エージェントを介してマンツーマンでプロアスリートの指導に当たるようになっていく。そのアスリートの一人が大リーグ・ドジャース傘下のマイナー球団に所属していた日本人選手だった。

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