平凡な毎日と決別するためにできる「日常の探検」 50代日本人探検家が考える「新時代の歩き方」
自身の死亡記事で人生を客観視する
「自分の死亡記事を想像して書いてみてください」
わたしは、講演の際に、来場者にそう呼びかけている。会場の空気が張りつめる瞬間だ。死亡記事は遺書ではない。氏名につづいて死亡時の肩書や専門分野、死亡日時、場所、死因などが簡潔に記される。
人生は一度きり。死亡記事が掲載されるのは1回のみだ。自分が何者であり、この世のどんな存在でありたいか。人間はひとり生きているわけではない。社会の中で何らかの役割を担っている。
死亡記事は、自分の生涯を社会から評価される最終審判でもある。実際には、自分の死亡記事を自分で書くことはできない。それをあえて自分の手で書くことで、「人生を客観視」しようという試みだ。それは人生の限界点を見つめ、理想の人生像を考える試みでもある。


















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