平凡な毎日と決別するためにできる「日常の探検」 50代日本人探検家が考える「新時代の歩き方」
たとえ平凡な日常にあっても死を想像するだけで、生きることを意識し、「こう生きたい」と潜在意識の下に潜む理想を見つけ出せる。
子どもの頃の夢を果たした人はどれくらいいるか。また、大人になってからも夢を持ち続けている人はどれくらいいるのか。
「仕事が忙しいから……」
「いつまでも夢なんて語っていられない。現実を見なくちゃ……」
そうやって、わたしたちはできない理由をつくることに慣れている。
でも、自分の人生の理想像が描けたら、あとは人生のコンパスがおもしろいと指し示す方向に進めばいい。そうわたしは思う。
われわれは生来、探検家なのだ
自分がおもしろいと感じるほうへ進んでいるうちに、人生は最高に楽しいものになる。では、具体的にはどうするか? おすすめは、「探検」を一般化し、身近なところに置くことだ。
「探検」というと、未開の地を切り開くようなイメージがあるかもしれないが、本当は、もっとわたしたちに身近な存在なのだ。しかも、多くの人が日常的に無意識に行っている。
パソコンを開き、調べたいキーワードを打ち込んでクリックする。インターネット検索にエクスプローラー(探検家)と名前がついていることからも明らかなように、探検とは、好奇心に突き動かされた人間の本能的行動のことを指す。それはどこか遠い土地に行くことではなく、知らないことを調べることが原点だ。
その気があるなら身近なところでも十分探検ができる。
不思議に気づき、調べることで人生の毎日が興奮に満ちて楽しいものになる。「ネットが通じないような辺境に行け」とは言わない。発見の余地があるなら行き先は路地裏でもいい。
取っ付きにくさのレベルをぐっと下げ、多くの人にとって身近なものに変えていくことが新しい時代の探検のあり方だ。発見の可能性はあらゆる場所に潜んでいる。
そもそも子どものほとんどが探検家ではないか。探検を子どもの遊びとみなして、卒業していくのは大人のほうだ。
時代の流れの中で探し求めるものも多様化している。遠い、近い、日常、非日常では探検を定義できない。探検だって「安・近・短」「おひとりさま」「おうち探検」なんでもありだ。
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