マクドナルド創業者「成功の代償」に失ったもの ビジネスに魂燃やす「レイ・クロック」の深い業
子どものころ、テレビアニメの「ポパイ」で、登場人物の一人ウィンピーが、よくハンバーガーを食べていました。1960年代後半、私の生まれ故郷にはマクドナルドもハンバーガーショップも、いや、そもそもハンバーガーなる食べ物がありませんでした。ポパイを見るたびに「ハンバーガーって、とても美味しいんだろうなあ」と、生唾を呑んだものです。
月日は流れ、大学受験で上京した1980年、三越百貨店の銀座店1階にマクドナルドがありました。
買い方もよくわからないまま注文し、トレイに載せられたハンバーガーを食べようと思ったのですが、どこで食べていいのかわかりません。路上で食べるなど想像もしていなかったので、トレイを持ったまま店内をうろついて恥をかいたものです。田舎者にとって、マクドナルド・ハンバーガーは都会の食文化でした。
そのマクドナルドを世界的なチェーン店に押し上げたのが、レイ・クロックです。
マクドナルドの父「レイ・クロック」
クロックは1902年、米国イリノイ州シカゴ近郊の町オークパークで生まれました。高校中退後、様々な職業を経験し、紙コップのセールスマンとして成功した後に、マルチミキサーの販売会社を経営します。1941年、39歳の時です。
彼が扱ったマルチミキサーは、同時に5種類のミルクシェイクをつくれる優れもので、会社経営は順調でした。冒険などしなくても、順風な人生を送ることができたのです。
しかし、成功者の業というものでしょうか。留まることなく彼は上を目指してしまうのです。大金や地位を欲する以上に、彼らをつき動かすのはマグマのような情熱です。どんなに成功していても満足しない不満が、埋み火のように体内に沈殿しているのです。 その埋み火が何かをきっかけに燃え上がります。燃え盛った炎は誰も消すことができません。レイ・クロックの場合、埋み火に火をつけたのは1本の電話でした。
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