平凡な毎日と決別するためにできる「日常の探検」 50代日本人探検家が考える「新時代の歩き方」

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探検家の資質について質問を受けることがある。危険に遭遇しても探検を続ける勇気はどこから湧いてくるのか、という質問も受ける。

勇気とは何か。危険や恐怖に直面するとき、逃げ出さずに立ち向かう力のことだ。本来、誰にでも備わっているはずだが、そのスイッチをオンにできるかどうかは、物事にどう取り組むかにかかっている。

36歳のときにマチュ・ピチュにたどり着いた探検家のハイラム・ビンガムは、そのときの心境を次のように書いている。

わたしの息はほとんど止まらんばかりであった。何という場所なのだろう。

ビンガムのように失われた都市を探したい! 未知の世界を発見する「探検」をしたい。わたしは強く願った。

そんな場所を探検する勇気がわたしにあるだろうか。ないなら鍛えられるか。

いや、勇気は鍛えるものではない。それに気づいたのは、活火山の島に通い続ける研究者と出会ったときだ。

火山がいつ噴火してもおかしくない場所になぜ行くのか? その勇気はどこから湧いてくるのか?

私が投げかける質問に、研究者は「噴火したらそれはそのとき」と答えた。死の覚悟はできている。彼は命を賭けてもやり遂げたいことに取り組んでいるのだ。

勇気は探検家に固有のものではない

命がけで何かに取り組んでいる人は世の中にたくさんいる。あえて生命の危険を冒すようなことではなく、それぐらいの熱量で何かに打ち込んでいる人という意味だ。職場を見渡しても何人かはいるだろう。

物事に一途に取り組む人には覚悟がある。

おそらくここ一番の局面ともなれば、命がけでも何かを成し遂げる。勇気とはそのような強さのことであり、危険や恐怖を寄せ付けない気迫が備わる。

勇気は探検家に固有のものではない。それは皆が持っている。家族や恋人などが危険な目に遭ったとき、自分の命に代えても守りたいと思うだろう。勇気はそのような局面でオンになる。

これができたら死んでもいい――。

そう思える何かを見つけて取り組んでいる人は、きっと探検家の勇気が特別なことではないことを知っているはずだ。

世界で最初にロビンソン・クルーソーの住居跡を見つけ出す。そう思い続けたわたしは、気がつけば人生の岐路に立っていた。「そこがそうかもしれない」という場所にまで行き着いたが、真偽のほどは発掘調査をしてみなければわからない。実現するには、準備期間を入れても1年では済まないであろう。

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