「がんでもおしゃれを諦めない」デザイナーの矜持 姉が語る30代の妹を突き動かした強い「思い」

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中島さんの活動はデザインだけにとどまらない。自らSNSを通じて自身のことを発信すると同時に、2019年2月には、NHKで「プロフェッショナル 仕事の流儀」などのディレクターを務めた経験を持つ小国士朗氏とともにがんの治療研究を応援するための仕組み「deleteC」を創設。企業を巻き込んでの取り組みに発展している。

昨年10月には、中島さんの活動をまとめた『がんをデザインする』も出版された。中島さんの体調が悪化する中、一緒に仕事をしていたスタッフ、編集者などが集まってそれぞれの思いを一冊にした。出版したのはいしいさんが経営するニジノ絵本屋だ。

姉として、同じ起業家として、一番近くで見てきたいしいさんの話からは、がんになってからも自分らしく生きる道を築くために挑戦し続けた中島さんの姿が感じられる。

転移が判明してから考えを切り替えた

いしいさんによると、中島さんが大きく変わったのは2016年秋、転移が判明してからだった。それまでは周りにがんであることをカミングアウトしていなかった、というより、どちらかというと隠していたという。

「がんと向き合わなければならないとわかった時にすべて、考え方も含めて切り替えた、という印象です。妹は外交的ではあったけれど、起業するというタイプではなかった。

がんであることが生きづらいと感じていた時に、ある人に『君の頭の中にあるものは、君にしか作れない』と言われた一言が、妹が起業したきっかけになりました。自分でやると決めた2017年は起業するにあたり、起業家さんたちの集まりにもよく行っていました」

2017年春、ボローニャからミラノへの移動の電車を前に。いしいさんと中島さん

転移がわかってから、中島さんは実名と顔、病名を公表して、自らのことをSNSやブログで発信し始めた。それにはがんに対する「白」か「黒」かというイメージを変えたいという思いがあった。がんと聞けば、治るか死ぬかという両極端のイメージを想起させるが、実際の患者はそのどちらでもない”普通の”日常を生きているからだ。

何を発信すべきかいしいさんとリサーチを続けた中でわかったことがある。がんや病気に関する本や情報には、普通の生活、あるいは、中島さんのような若い女性が求めるおしゃれな生活、という視点が抜けていたのだ。

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