国境「引き間違え」で生まれた国の辿った歴史の妙 人が引く線であり移ろいやすく永遠不変ではない
国境の引き間違えは近代世界ではあり得ない。そう思われるかもしれませんが、比較的最近、第一次世界大戦後のドイツで同様のことが起きています。
第一次世界大戦に勝利した連合国は、ライン川西部のドイツ領土を占領します。彼らはコンパスを取り出し、3つの円(アメリカ領、フランス領、イギリス領)を描きました。それぞれの円の半径は約30キロメートルで、近くの町を中心にしています。その町のうちの2つ、マインツとコブレンツは約64キロメートル離れていました。
当然ながら2つの円は接触しません。そして南はライン川が流れ、北は山々が連なることから、南北からはアクセス不能で東西には他国の占領地域が広がるという、帰属不明の細長い空白地帯が発生します。形が瓶の首(ボトルネック)に似ていることから「ボトルネック自由国」と呼ばれ、この瓶の中で最大の町ロルヒが首都になりました。
ボトルネック自由国は国際法で認められた国ではないので、貿易や合法的な商売をすることができません。住民は密輸に手を出したり、ときおり列車をジャックしたりして食いつないでいかねばなりませんでした。列強が国境線を雑に引いたことが原因でしたが、数千人のドイツ人がにっちもさっちもいかなくなっても、連合国側は無関与の姿勢を貫きます。
ボトルネック自由国の住人は緊急通貨を発行し、貨幣には酒を飲む地元住民の姿が描かれました。彼らの切実な望みは「酒を飲むこと」でした。
ボトルネック自由国は、フランスがルール地方全体を支配下に置くことを決めた1923年、終わりを迎えます。ドイツが賠償金不払いを繰り返したためフランス側が占領地域を拡大、結果、空白地帯解消となったのです。
忘れてならないのは、「国境線」を引くのはあくまで人間であり、国境は人工物だということ。人が引く線なので、簡単に線の形や位置は変わります。決して永遠不変ではありません。国境線もまた、人間と同じで移ろいやすく、今の世界地図が思わぬ理由でいつ変わってもおかしくないことを「滅亡国家史」は教えてくれます。
前回:「他国に守ってもらおうなど甘すぎる」歴史の教訓(4月11日配信)
前々回:クリミア併合に何の意味があったか知ってますか(4月4日配信)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら