プロボクサーから弁護士になった男の爽快な人生 「学年最下位」の高校時代からの怒涛の進撃

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プロデビュー後に待っていた”試練”

新しい大学生活がはじまった。

大学生になってからは弁護士とボクシングの同時進行は難しいと考え、いったんボクシングに集中することを決断。ボクシング中心の日々をスタートさせた。

ジムの近くにアパートを借りた。毎日のルーティンは、朝10キロのランニングから始まり、学校に行き、授業が終わればジムに直行して3時間ほど練習をする。試合が決まれば減量も考慮し、さらに水泳や深夜に走りこむなど、メニューを増やした。

プロデビューした頃の坪井さん

努力の甲斐あってか、プロデビュー戦がついに決定。ボクシングの聖地・後楽園ホールには、坪井さんの家族をはじめ、友人知人、100人以上が現場に駆け付けた。自分のためにたくさんの人が集まる嬉しさと高揚感。反面、そこまでしてもらって負けたら恥ずかしい……というプレッシャーにも襲われたという。そもそもボクシングは、怪我やその後遺症、場合によっては死に至るケースもある。緊張感はかなりのものだったかもしれない。

「かなり気持ちが追い詰められました。でも、途中でふと気づいたんです。極論すると、最悪、死ぬだけだって。そう考えたら気持ちが楽になって、リングに立つ覚悟がきまりました」

親には、今までの感謝の気持ちを込めて遺書を書いた。結果は、3ラウンドKO勝ち。中学生の頃からの夢が1つ、叶った瞬間だった。

それからは、さらに練習を重ねて、試合をこなす。プロデビューして早々、異例の速さで後援会も発足した。あとはひたすらストイックにボクシングと向き合い、プロボクサーとしてトップに立つ……はずだった。

「その瞬間」は、意外とすぐにやってきた。

いつも通り練習をしていると、左手に軽い怪我を負った。病院での処置が運命を変えた。ボクシングの要と言える左手の神経に傷がついてしまい、ボクサーとしての生命線を絶たれてしまったのだ。医療ミスだった。

「もう、絶望しかなかったですね」

2戦目の直前だった。頭では理解しても、現実は受け入れられない。夢だったプロボクサーからすぐに身を引く気にはなれず、そこから3戦ほど対戦した。しかし、片腕メインとなり、戦術が限られた。

「元のように、現実がひっくり返らないかな……」そう願った日もある。最終的に、怪我から半年後に引退を決意。やるべきことはやった。ここまでやってダメならそれが現実だと受け入れたという。その後、日本各地を1カ月ほど放浪して気持ちを切り替えていった。

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