プロボクサーから弁護士になった男の爽快な人生 「学年最下位」の高校時代からの怒涛の進撃

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2つ目は、幼稚園時代に遡る。当時、3階建ての広くて大きい一軒家に、両親と兄弟で住んでいた坪井さん。しかし、坪井さんの祖父が経営する会社が詐欺まがいのトラブルに遭遇。借金のかたとして、坪井さん一家が住んでいた家をとられてしまった。

急遽引っ越しした先は、もともと資材置場の片隅に設置されたプレハブ小屋だった。1部屋5畳ほどのスペースに、家族5人での生活を余儀なくされた。ガスはない。水道は井戸水のみ。トイレは工事現場に設置されているような簡易式トイレ。風呂は3日に1回近所の銭湯に行く。そんな生活が1年ほど続いた。坪井さんの精神状態にも大きく影響したのだろうか。

「まだ幼かったし、自分が食べ物に困ったとか、苦しい思いをした記憶は全然ないんですよ。部屋が狭いので、必然的に親との距離が近くなる。それはそれでよかったと言いますか」

一方、子どもながらに親が大変そうな様子はうっすら感じていたとも言う。

「当時は何が起きているのかわかりませんでしたが、何か親が困っていそうな気はしていて。小さいし、何もできない自分が情けないなと。そう感じた気がします」

中学生になる頃には、大体の状況は理解した。もし、祖父の会社に顧問弁護士はついていたら、きっと違う展開になっていたんじゃないか。

ボクシングと弁護士。坪井さんにとってこの2つの共通項は“強さ”だ。「ボクシングでは腕っぷしを、弁護士では知識を。この2つを手に入れたら、自分の周りにいる人たちを守れるのではないか」。将来の夢を決めた。

高校は苦痛でしかなかった

高校に入学すると同時に初めてボクシングジムに入会した。1回2時間程度の練習を週3回程度行う。しかし、高校2年生のときにアマチュアの試合で大敗してからは、さらに練習を増やしていった。

そうして将来の目標は定まったものの、坪井さんにとって高校は苦痛な場所だったという。「プロボクサーと弁護士になるという明確な夢があるのに、どうしてその夢に直結しないことをやらないといけないのか。決められた場所に、決められた時間押し込まれて窮屈で仕方なかったです」

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