トヨタ系「スパイ容疑」事件、無罪確定が示す教訓 愛知製鋼の無茶な「元社員告訴」はなぜ起きた?

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「その一部の社員たちは本蔵氏より遅れてセンサー部門にやってきて、MIセンサ開発当初の経緯やどんなことを秘密にしてきたかわからないまま、本蔵氏が会社の秘密を持ち出してMIセンサと同じものを作ろうとしていると思い込んだ。そんな彼らの言い分を技術のわからない上層部や法務部門が真に受け、歯止めがきかないまま刑事告訴まで行ってしまった」(前出のOB)のが事の真相だという。

技術者が萎縮しかねない

このOBは、今回のような抽象的な内容を社外と共有しただけで機密漏洩だと訴えられれば、「技術者が自由な発想を出せない」と危惧する。製品の基本的なアイデアを含めたすべてが「会社のもの」だったら、技術者が退社してキャリアップすることにブレーキがかかり、萎縮につながってしまう。これは愛知製鋼一社の問題にとどまらず、日本の技術力の衰退に関わる問題だと言えるだろう。

マグネデザイン社のGSR研究開発室。2021年3月に2号ラインを整備し、さらなる小型化を追求している(写真:筆者撮影)

愛知製鋼は刑事裁判と並行してGSRセンサの特許無効を特許庁に2度申し立て、いずれも退けられている。2020年には本蔵氏に対して15億円の損害賠償を求める民事訴訟を起こし、こちらは係争中だ。

特許紛争を手掛ける関係者によれば、民事訴訟では解決しにくい問題を、刑事事件としても訴え、当局による証拠保全などによって民事を有利に進める争い方は「手法としてはあり得る」という。ただし、訴えられた個人が心身の拘束で受けるダメージは大きく、今回のような判決が出ることを考えれば、訴えた企業側のリスクも計り知れない。「ケースバイケースだが、社内の人間関係や権力争いが混じる私企業間の紛争は刑事事件になじまないのでは」と前出の関係者は指摘する。

本蔵氏は刑事告訴によって逮捕後約4カ月間勾留され、全財産も差し押さえられた。保釈後はマグネ社の業務に復帰したが、資金繰りに翻弄され、人材も流出して倒産寸前の状態に追い込まれたという。

こうした逆境の中でも、GSRセンサはその将来性を見込んだ国内外の企業から支援を受け、本蔵氏はその技術をロボットや医療分野にも展開。マグネ社を年間6億円の売り上げが見込めるまでに立て直した。今後は、車やスマホといったモノにとどまらず、人の生体反応などへの応用を進めていく計画だ。裁判の長期化で開発に遅れは生じたが、「これから技術開発や市場拡大が一気に加速するだろう」と本蔵氏は確信する。

愛知製鋼は、トヨタ自動車の創業期を「鉄鋼」という素材で支え、近年は電動化時代を見据えた新素材開発にも乗り出している。本蔵氏は「トヨタグループの中でも重要な会社だ」と古巣の重要性を認める一方で、「思い切った投資や人材育成ができず、過去の財産を食いつぶしているだけ」と指摘する。

企業の技術力の核となる情報を守りながら、いかに技術者との信頼関係をオープンに築き、イノベーションへと繋げていけるか。今回の裁判は、日本企業にとっての1つの教訓となったはずだ。

関口 威人 ジャーナリスト

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せきぐち たけと / Taketo Sekiguchi

中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で環境、防災、科学技術などの諸問題を追い掛けるジャーナリスト。1973年横浜市生まれ、早稲田大学大学院理工学研究科修了。

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