① NATOの東方拡大
1つ目は、既によく指摘されているように、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大政策だ。
ミアシャイマー教授は、1991年のソ連崩壊後、弱体化したロシアが2度にわたって甘んじてNATOの東方拡大を受け入れてきたと指摘する。1度目は1999年の旧ソ連衛星国のポーランド、チェコ、ハンガリーのNATO入り。2度目は2004年のバルト3国やルーマニアなど7カ国のNATO加盟だ。
もともとこれらの国々は、西側のNATOに対抗し、ソ連を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟のワルシャワ条約機構のメンバーだ。しかし、冷戦終結に伴い、1991年に東側のワルシャワ条約機構が解散した一方、西側のNATOは存続して拡大を続けてきた。冷戦後、唯一の超大国となったアメリカ、とりわけ民主党のビル・クリントン政権が1990年代後半にNATOの東方拡大を本格化させた。
政治学者でソ連史研究家の法政大名誉教授の下斗米伸夫氏は、著書『ソ連を崩壊させた男、エリツィン』(作品社)の中で、アメリカが「(1990年の)ドイツ統一後の同盟不拡大の東西合意を反故にした」と指摘している。
2008年4月、NATO首脳会議が引き金に
プーチン大統領はかねてNATOの東方拡大に強く反対してきた。ミアシャイマー教授は、このNATO東方拡大問題が2008年4月にルーマニアの首都ブカレストで開かれたNATO首脳会議で一気に爆発したと指摘する。この会議では、時のブッシュ・アメリカ大統領が旧ソ連のウクライナとジョージア(旧グルジア)のNATO加盟を提案。ウクライナとジョージアもNATO加盟を明確に表明した。
今から振り返れば、ドイツとフランスはとても冷静で、ロシアから無用な反発を買うことを恐れ、アメリカの提案に反対した。しかし、結局、ウクライナとジョージアの将来的なNATO加盟については合意に至った。
ミアシャイマー教授は「ロシアはこの時、明確にウクライナとジョージアのNATO入りはロシアの国の存亡に関わる脅威であり、受け入れられないと主張した」と指摘し、今回のウクライナ戦争の起源だと言い切っている。
ロシア軍は、そのNATO首脳会議から4カ月後の2008年8月にジョージアに軍事侵攻した。
2014年のロシア軍によるクリミア侵攻については、ミアシャイマー教授は「クリミア半島にはセバストポリという(黒海に面した)重要な海軍基地がある。ロシアがここをNATOの基地にさせることなど考えられない。これがロシアがクリミアを奪った主な理由だ」と指摘する。
そして、同教授は、1962年にアメリカの喉元にあるキューバにソ連の核ミサイルが配備され、ケネディ政権がそれを撤去させた「キューバ危機」を例に挙げた。
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