いつの間にかゲーム屋、それもなんか面白い--南場智子 ディー・エヌ・エー社長[中]
だが、戻ると再び悪夢の日々。戦略をめぐってクライアントと話が合わず、提案を受け入れてもらえない。焦った。自分はどう評価されているのか、結果は出せているのか。「ノー」だ。会社のファクスでヘッドハンターに履歴書を送りまくる日々が始まった。が、「これが最後のご奉公」、と臨んだプロジェクトが、すべてを変えた。
南場がふと思いついた増益プランにクライアントの社長が反応した。「いいじゃないか。このとおりやれ!」。先輩たちも南場を全面支援し、実行段階ではプロジェクトのトップを任された。そして東京や大阪の現場を飛び回り、クライアント企業に大増益をもたらすことができた。
吹っ切れた。マッキンゼーという輝ける職場、そこでの評価を勝ち得たい一心に、思い詰めていた自分。要するに、視線の先にあるのは自分だけ。そこから、本来あるべきところ、クライアントへ視線が移った。
「結果として、クライアントさんが喜ぶものが出せるなら、自分の成果とかはどうでもいいのかなと。そしたら、肩の力がスーッと抜けて、言えるようになった。私アホです、助けてください、って」
6年後、南場は34歳で、日本人女性として3人目のマッキンゼーのパートナーに駆け上がる。
自分自身で走りたいが、出ばなで失敗
1999年3月、南場はマッキンゼーを退社、有限会社ディー・エヌ・エーを立ち上げた。きっかけはソニーコミュニケーションネットワーク(現ソネットエンタテインメント)の当時社長、山本泉二(現IIJグローバルソリューションズ会長)との雑談だ。パートナー時代、南場は主に情報・通信業界を担当し、山本もクライアントの一人だった。