いつの間にかゲーム屋、それもなんか面白い--南場智子 ディー・エヌ・エー社長[中]
その村口の家の電話が鳴ったのは、99年10月最後の土曜日の朝だった。受話器を取ると、「助けてー!」。南場である。オークションサイト「ビッダーズ」のサービス開始まであと1カ月という段階に来て、外注したシステム開発がほとんどできていないことが判明したのだ。
駆け付けると、社内はパニック状態に陥っていた。村口は自ら出資していたソフト開発会社、インフォテリアの平野洋一郎社長に連絡し、支援を要請した。シアトル出張中だった平野に代わり、急きょ引っぱり出された同社副社長の北原淑行によれば、元コンサルぞろいだけあって、「ビッターズ」の仕様書自体はバッチリだった。「でも、肝心のシステムで使えるものは1行もない」。
そのとき、インフォテリア自身、最初の製品を立ち上げる真っ最中であり、よその仕事にかかわっている余裕はない。そもそも、他社からの開発受託はしない方針を掲げていた。が、断れば、この会社はオシマイになる。「うちがやるしかない」。
残り1カ月の作業期間でギリギリ実行可能なプランを、土日に練り上げた。次は、プランを持って月曜朝イチで、出資者のソネットとリクルートに報告に行く。支援を継続してもらえるか、降りると言われるか。
「それらすべてをやり切ることが、彼女がリーダーであり続ける条件。48時間の勝負だった」(村口)
赤字に苦しんだ4年間 「携帯」でついに悲願達成
南場はやり切った。だが、仕様を大幅に削減して間に合わせざるをえず、オークションに入札は可でも出品できないという、致命的な欠陥を抱えたままの船出となった。[下に続く]
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(中村陽子 撮影:尾形文繁 =週刊東洋経済2011年1月8日号)
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