米国の”政治人材”は、日本とここまで違う! ビジネスと政治を行き来する強者たち

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ビジネススクール卒業後は、ピルスペリーという食品会社に入りました。その仕事で日本に来たこともあります。1980年代、ハーゲンダッツの買収の件で、初めて日本に来ました。その滞在中に子供が生まれたので、お祝いに日本興業銀行の方からティファニーの食器をプレゼントしてもらったのがいい思い出です。

その後、いくつか会社は変わりましたが、基本的にはずっと財務担当として経験を積んできました。そして出身地であるミネソタに帰ってきて、2000年の選挙で下院議員に立候補しました。そのときのライバルはそれまで4期務めた民主党の下院議員でしたが、その人を打ち破って、共和党の議員として初めて当選することができました。

それからずっと下院議員を務め、2006年も共和党の議員として選挙に出たのですが、当時はちょうどジュニアのほうのブッシュ大統領の2期目に当たり、イラク戦争などで彼が人気を失っていたこともあり、再選は叶いませんでした。

桑島:ブッシュ大統領は共和党ですからね。

ケネディ:それからアクセンチュアのグローバルの小売のディレクターになったのですが、そこでいかにアメリカのビジネスマンたちが政治との関わり方を知らないかを痛感しました。

私は政治とビジネスの両方を経験した人間ですから、政治を動かせるビジネスマンを育てようと思い、ジョンズ・ホプキンス大学のケリービジネススクールで教えているうちにジョージ・ワシントン大学にヘッドハントされ、「グラジュエイト・スクール・オブ・ポリティカルマネジメント」というプログラムの学部長として教えることになりました。

ケネディというファミリーネームの宿命

桑島:少し話を戻すと、なぜ選挙に出馬しようと思ったのですか。

ケネディ:理由は3つあります。まず私のファミリーネームは、政治の世界で有名なケネディ一族と同じです。ケネディ家はアイルランド系の移民で、私もミネソタのアイルランド系のコミュニティに育ちました。トウモロコシ畑で手伝いをしながら、ケネディ大統領の話とともに「公共の仕事をすることがいかに大事か」と聞かされて育ちました。だから子供のころからどこかで政治を意識していたと言えます。

ちなみにケネディ家は、いまもマサチューセッツやロングアイランド州から議員を出しています。私はあるときパトリック・ケネディというケネディ大統領の甥にあたる人と議会で一緒になりました。ケネディ家はリベラルなので民主党。私は共和党です。しかし仲は良くて、いつも議会が始まる最初の日は地元の子供たちを連れてくるイベントがあるのですが、そこでパトリック・ケネディは「民主党のケネディ」、私は「共和党のケネディ」と紹介されたことがあります(笑)。

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