知られざる、もう一つのカー・オブ・ザ・イヤー 自動車業界も注目した「あの日」を回顧

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余談だが、10年ほど前に、免許の書き換えを忘れて失効してから、当然のことながら一度も自動車は運転していない。元号で書かれている有効期限を思い違いしていて、免許更新で警察署に行って初めて1年前に期限が切れていることに気が付いた。人間、誰しも勘違いすることはあると思うのだが、その場で私のゴールド免許は没収された。

再び免許を取得するには、自動車学校に行くか、試験を受け直さなければならないと言われた。20年間で駐車違反が1回のドライバーが簡単に免許を取り上げられて、また金を払って自動車学校に通うのかと考えたら、あまりにバカバカしいので、自動車の運転は止めることにした。その後、日常生活でとくに困ったと思ったこともない。

そんな自動車オンチの人間が、自動車担当記者になったわけだが、自工会クラブに所属する記者は基本的に経済記者である。いわゆるモータージャーナリストのように、自動車そのものの走行性能や乗り心地に関する記事を書くわけではない。いくら走りが優れたクルマだとしても消費者に支持されて売れなければ意味がないわけで、あくまでも経済的な視点で自動車を評価することになる。

1994年のCOTYは三菱「FTO」

ちょうど20年前、1994年暮れに発表された第15回日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)を受賞したクルマを記憶しているだろうか。覚えていたら、相当の自動車通だろう。この年のCOTYは、三菱自動車工業のスポーツクーペ「FTO」である。

FTOは、三菱自動車のリコール隠し事件が発覚した2000年に生産中止となっており、ウィキペディアによると7年間の累計生産台数は約3万8000台。COTY受賞翌年の1995年は約2万台売れたが、その後はジリ貧だった。ちなみに同じ年のRJCカーオブザイヤーはホンダを当時の国内販売不振から救ったミニバン「オデッセイ」である。

今でこそ、COTYの選考は透明性が高く、選考委員の誰が、どの車に何点入れたのかまで全て公表されているが、当時は選考過程がほとんど公表されていなかった。COTYは1980年に設立されたが、1991年に「より透明性が高く公明正大なイヤーカー選びを実現するため」にRJCが発足したほどだ。

COTYの歴代受賞車を見ると、四輪駆動オフロード車やミニバンなどのRV(レクリエーショナル・ビークル)はほとんど選ばれておらず、走りを重視したセダンやクーペがほとんどだ。当時、人気が高かったオデッセイやデリカ・スペースギアではなく、FTOを選んだのは車好きの審査員としては当然かもしれない。別にその選考結果にとやかく言うつもりはないが、経済記者から見ると、FTOは一般消費者にとってはマニアックな車で、1994年を代表する車として記事にするには少し違和感を覚えた。

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