日本の仏教に大きな足跡を残した高僧たち。主な宗派の開祖でもある。生涯と思想をたどる。
最澄
奈良・平城京で政治力をつけすぎた南都六宗の影響を、新しい都・平安京では排除したい桓武天皇の期待を受け、最澄は804年に遣唐使船に乗って入唐。隋の時代の僧・智ギ(ちぎ)が起こした中国天台宗の教えを天台山(現在の浙江省)で学んだ。さらに禅、密教、戒律を伝承して約半年の滞在の後に帰国すると、806年には国家に公認され天台宗を開宗した。
最澄は晩年に二つの大きな論争をしている。一つは南都・法相宗の僧、徳一と対立した三一権実(ごんじつ)論争。小乗だけを追究する者は悟れず成仏できないとする徳一の説に対して、最澄はすべての人は平等に仏性を備えており、悟りを開きうると主張した。
もう一つは大乗戒壇論争で、大乗仏教は小乗戒ではなく大乗戒による独自の戒壇(受戒の場)を設立することを主張した。また、菩薩であることは出家も在家も区別はないとする立場から、双方に共通した「梵網戒」を出家者に採用することを提唱し、南都諸宗の反発を招いた。結局、最澄の没後、比叡山に戒壇が作られた。これは日本仏教の世俗化に大きく影響し、独自の発展に意味を持つこととなった。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら