男塾コラボ炎上「吉野家」の筋がまるで通らない訳 220回超通った熱心なファンが怒ったのは当然だ

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お客は熱心なファンとしての自分が、どのように企業に扱ってもらえるかを期待している。しかし、吉野家はお客の(同社から見ると脱法していると考えた)要望についていかに反論するかを考えていた。ただ、それならメールを受け取ったお客はネットに「告発」するはずだ。ゆえに、通常の人々が見ると、なんだか吉野家って攻撃的な対応をするんだな、と思ったに違いない。

もちろん最後の砦であるお客様センターが、自社の正当性を主張しようとしたのは理解できなくもない。ただ、こうした局面においてファンが期待するところは「ギリギリまで、熱心なファンのためにがんばったけれど、どうしようもなかった、申し訳ない」という姿勢なのだ。

そこで本来は、友好関係にあるどころか、相思相愛であるはずの「吉野家」と「ファン」が、「吉野家vs.ファン」という構図になってしまった。また大変に言いにくいが、これが一見さんのお客ならまだしも、対象となったのが昨年7月から220回も通ったファンだったことにある。少なくとも6万6000円以上のお金を吉野家に払っているのだ。

近しい人は愛情を持ちやすいが、それが憎悪に変わったら、愛情が深い分だけ強い憎悪になるのは知られている。

そして社会は、これだけ熱心なファンに企業がどのような対応をするかを見ている。

なんでもお客に媚びればいいのか

企業はレピュテーションリスクを認識している。このレピュテーションリスクは、簡単にいえば風評や批判にさらされることだ。私は当サイトで『漂白化される社会』という全5回の連載を執筆したばかりだ。同連載でも指摘したように、だから、現在は必要以上に、事なかれ主義の風潮があるのは否定できない。

ただ、私が「なんでもお客に媚びろ」といっているかというと、実は逆を主張している。むしろ行き過ぎたクレームにたいしては毅然と対応して良いとすら考えている。

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