まず公平感がなければますます希望を失う--『ポストモダンの正義論』を書いた仲正昌樹氏(金沢大学大学院教授)に聞く
政治哲学者マイケル・サンデル氏による正義論を説いた本がベストセラーになっている。自らの現場から始める「ミニマルな正義」を推奨する立場から、閉塞感が横溢(おういつ)する時代の正義について考える。
──「サンデル人気」は、「正義」の本質とはずれたとらえ方になっていませんか。
確かに日本的に変質している。日本では、話すのがうまい人、コミュニケーションが巧みな人が出てくると、そこだけに目が行きがち。一時期、細川(護煕)元首相が記者会見のときにペンか何かで質問者を指すのがいいとか、小泉(純一郎)元首相もワンフレーズのメッセージで伝えるのがうまいとか、もてはやされた。
オバマ米大統領が登場してきたときもそうだし、サンデル人気も言葉巧みさがもてているところがある。もともとアメリカ人でかっこいい人が出てくると、しゃべり方やコミュニケーションのうまさだけを取って、これがないから日本人はダメだと、本来的な評価でないところにポイントを持っていったりする。
──講義の場での参加者の拍手も気になります。
あれはいけない。映像で見るかぎり、ハーバード大学での授業でも少しはあったが、拍手は政治的な賛同を表すことになる。発言者は正しいことを言ったと確信して、なぜそう考えられるのかを自問しなくなる。むしろ自分の正しさを認めさせたいという方向に力点が傾いてしまう。
──自問しなくなる?
この授業の場で大事なのは、自分の意見を言うことそれ自体より、なぜ自分がそういう判断をしたのかを本人が自ら発見することなのだ。これは、サンデル氏自身も授業映像の最後のほうで言っている。