まず公平感がなければますます希望を失う--『ポストモダンの正義論』を書いた仲正昌樹氏(金沢大学大学院教授)に聞く
──東京大学の安田講堂で出張講義をしました。
ハーバードでやっているほどにはうまくいってない。通訳を介していることもあって、何で自分はそういう意見を言っているのかという自問まで、すべてを引き出し切れていない。戦争の反省というトピックでも、日本人の思考パターンを踏まえてもらえるとよかったが。
──日本人の思考パターン?
日本で政治哲学や倫理学をやっている人は、一度価値判断したら問い直さない人があまりにも多い。それを思想的な信念だと思い込んでいるフシがある。言い張ることがまっとうだとするなら、この授業は完全に逆効果だといえる。
──サンデル氏の論点に、正義と共通善の問題があります。
サンデル氏の言っている正義には二つ意味がある。狭い意味の正義は、ジョン・ロールズが唱えた価値中立的な正義。ルールといってもいい。世界観、価値観が違っても、皆が受け入れることができる普遍的な正義だ。
これに対して、サンデル氏は価値中立的な正義は不可能で、正義は共同体の存在している目的を必ず考慮に入れないと判断できない、共同体には共通善があり、善は共同体的な価値を必ず反映していると言う。
──ここでいう善とは。
日本語で善といっているが、善は英語でいえばグッドだ。ニュアンスとしては良に近い。アリストテレスなら、ポリスの中でよき生活を送ることが善になる。日本的にいえば、品格のある生活、市民としてたしなみがあって、ほかの市民と共通の目的を追求するような生活をしているというイメージだ。その際に大事なのは共通善となる。
政治的な共同体が変われば別の共通善があるかもしれない。