まず公平感がなければますます希望を失う--『ポストモダンの正義論』を書いた仲正昌樹氏(金沢大学大学院教授)に聞く

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 たとえば格差の話をするとする。努力の結果、収入格差が出ることに対してどう思うかという設問で、格差が2倍だと許せるか、100倍ではどうかと聞く。2倍ぐらいだったら許せるが、100倍は許せない、と直感的に思うかもしれない。その価値判断を直感で済ませないで、そう思った理由を説明してくれないか、と必ず理由を言わせる方向に持っていく。発言者はここで自問することになる。

──単なるディベートの授業ではないと。

ディベートのために意見の対立する人を選び出しているのではなくて、相手が違う意見を言い、それに何らかの理由をつける。それに対して自分はなぜ反発するのか考える。互いに自分たちが依拠している内的な原理、それを発見していくことにつながる。

確かに哲学の授業としても優れている。大学の政治哲学の授業なので、君の言っていることは哲学史の分類だとこれに入るかなと言って、それを哲学史的なマップの中で位置づけていく。そして、哲学史にはこういう価値判断の対立があったと理解させ、考えさせる。

──ハーバード大学での講義は、水準が高くありませんか。

その講義が本になっている。よく読んでみると、学生が前もって指定文献を読んでいるフシがある。読んできたねと言っているし、学生も、読んできてアリストテレスはこう言っていると引用する。ブログの話も出ている。おそらくサンデル氏がブログで解説し、それに意見を書き込むように促しているのだろう。授業の場に加えて、論点整理ができるようにいろいろ準備がされている。

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