「兜町の石原」と呼ばれた黒幕の半生 「黒幕」に描かれた経済事件の内幕
一方でその世界の情報を武器に、証券会社の総務・広報、マスコミ社会部、出版社の編集者といった表の世界の人間とも渡り合うことになる。おのずと「表と裏をつなぐ情報交差点」という立場が確立されていくのだ。
そのような人脈を駆使して得られる情報は、地道に人間関係を構築し、ようやく対面で得られる「生の情報」であり、時代を象徴するスキャンダルにおいても、知ると知らないでは決定的な違いを生み出す「本物の情報」であった。
生々しいほどに語られる、事件の舞台裏
彼がその筋で最初に名を上げたのが、平和相銀事件である。あまりにも人脈、構図、背景が複雑なため新聞記者も困惑する状況の中、マスコミが触れない「検察の思惑」と「政治との兼ね合い」にまで踏み込み、「情報のプロ」としての読みの確かさを披露した。やがては実績を片手に、企業の守護神としての地位を駆け上がっていく。その様々な舞台裏でのやり取りが、本書では生々しいほどに紹介されている。
たとえば、旧第一勧業銀行の総会屋への不正融資事件。当時、広報部次長を勤めていた小説家・江上剛はこう語る。
「石原さんには、東京地検特捜部が、いつ、どんな状況下で、どういう形で強制捜査に入るかを、事前に全部教えてもらいました」
行内の改革に立ち上がった中堅社員「4人組」による行内改革、それを影ながらサポートしていたのが石原氏であった。情報力、分析力のみならず、情報を使って行内を動かし、改革そのものをリードする。それは企業の危機管理広報が、マスコミが動き出してからでは遅いということをよくわかっていたからこそだ。脅しの要素をいっさい抜きにして影響力を行使することができたのは、ひとえに編集の論理におけるさばきの妙というよりほかはない。
リクルート事件へも影響を与えたとも言われる石原氏
また、リクルートコスモス株を多くの政治家や官僚が受け取り、戦後最大の経済事件とも言われたリクルート事件。当時、広報課長、総務部次長として事件対応にあたった田中辰巳は、「石原さんがいなかったら、事件そのものがなかったかもしれない」とまで言う。
リクルート事件は1988年、朝日新聞が「川崎市に株譲渡」と報じられたことから始まるが、犯意の特定も難しく沈静化する動きさえあった。ところが、リクルートコスモスの社長室長が野党代議士に現金贈与を持ちかけているシーンの隠し撮りを報道されたことから、再燃していく。
実は石原氏は、この仕掛けを事前につかんでいたのだという。現金贈与以前の会合で“手心を加えてくれ”と願い出た時にも既に隠し撮りをされており、それを「気をつけろ」と忠告したところ、焦ったリクルート側が会うのを止めるどころか、現金を持っていってしまったというのだ。
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