テレビが助長する「日本人特殊論」の功罪 「日本、喪失と再起の物語」を読む
これからも日は沈み続けるのだろうか。それとも、いったん没しかけた太陽は自らを大きく変革し再び昇るのだろうか。あるいは成熟国家として、ある程度の富を保ちながら退屈ではあるが緩やかで穏やかな社会を、長期間にわたり維持し続けるのだろうか。
その答えは誰にもわからない。なぜなら歴史とは、つねにひとつの方向にのみ流れ続ける川ではないからだ。それに、私たちがどのような社会を建設していきたいのかというコンセンサスが今の日本社会の間にあるとも思えない。
テレビ番組により助長される、日本人特殊論
ただ、今の日本が大きな歴史の分岐点に立っているという認識は広く共有されているのではないだろうか。そんな時代の空気感こそが、昨今の「日本はすばらしい国」といった内容のテレビ番組の氾濫の原因でもあるのだろう。
本書の著者も間違いなく日本はすばらしい国だと思っている。しかし、それは日本人が好み、日本びいきの外国人も同意するような日本人特殊論に依拠してはいない。
それ故に、日本人にとっては耳に痛い話も書かれている。ネット右翼と呼ばれる人たちが読んだら目くじらを立てて怒るかもしれない。太平洋戦争の原因に対する記述には反論もあろう。また従軍慰安婦の強制連行などの記述もある。
だが従軍慰安婦の問題については、朝日新聞が誤報を認めてから著者はこの問題に対して慎重な姿勢をみせているという。欧米の知識人の間で、いかに朝日新聞が発した誤報が浸透してしまっているかということをあらためて思い知らされる。
そのような問題がありつつも、本書は日本人がどのような近代を歩み、また、日本社会にどのような価値観の争点があるのかを時に手厳しく、時に日本への愛情を込めながら解説する。
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