米国発「子どもの死の予防制度」日本導入への課題 虐待の防止にも効果、米国は1970年代に導入
「児童相談所としては、おうちの中で子どもが死ぬのはとても嫌なこと。裁判で無罪になり、『SBSではなかったでしょ』とお父さんに言われたとします。『でも、おうちで亡くなってますよね、その理由はわかりますか』と聞くと、『ちょっとよくわからない』と。
どうして子どもが亡くなったのか、それがわからないまま、その家にもう一度、子ども(兄弟)を戻すということを考えなくちゃいけない。これは危険です。だけど、無罪は無罪。判断がすごく難しい」
その難しさを克服するためにも、多職種のプロが集まって、それぞれの考え方を理解していくCDRには意義がある。「子どもの命を守る」という共通の目標のもとにCDRの席に着けば、互いの職種や組織の垣根を超えて、子どもにとって最善なものが見えてくるからだ。
CDRはグリーフケアの側面があるべき
虐待に限らず、不慮の死を防ぐには、保護者への支援が欠かせない。藤田さんは弁護士を志す以前から、子どもの養育環境に関心を持ち続けていた。司法修習生のときには、児童相談所職員の家庭訪問に同行。虐待の現場に初めて立ち、衝撃を受けたと振り返る。
5階建ての団地。階段は薄暗く、エレベーターはない。トラック運転手の父親は不在が多く、母親は体調不良で外で働けない。家の中は、やたら壁がベトベトしていたことを覚えている。
「子どもが4、5人いる家庭で。虐待事案だったので、どんな悪い奴が現れるんだろうと思って行ったら……」
現れたのは、困りはて、途方にくれた母親だった。「やんなきゃいけないことが多いのに、できなくて……。もう、いっぱいいっぱいになって、(子どもを)叩いちゃうんです」。私はダメな親なんですと、小さくなってわびる母親に、「虐待はいけない」と正攻法で簡単に言える話ではないことを思い知ったという。
「CDRは本来、グリーフケア(死別などによる深い悲しみや悲痛に対するケア)の側面があるべきだと言われています。自分の子どもが亡くなったのはどうしてか。そこを専門家に調べてもらって、『こういうことだったんだよ、あなたのせいじゃないんだよ』『これを気をつければよかったんだね』と言ってもらって、自分の子が亡くなったことについてもう一度見つめ直すためのきっかけになるのがいい。
でも、そこは難しいところで、虐待をしていたら、グリーフケアもあったもんじゃない。死因を究明して、たとえ、加害者であったとしても、どういうふうにグリーフケアをしていくか考えなくてはいけないと思います」
取材:穐吉洋子=フロントラインプレス(Fromtline Press)所属
(第3回は国の導入遅い「子の死因究明」に山梨が力入れる訳)
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