米国発「子どもの死の予防制度」日本導入への課題 虐待の防止にも効果、米国は1970年代に導入
遺族に目的を理解してもらおうとしても、悲嘆にくれるそばから医師は同意を取りつけなくてはならない。警察の捜査情報にアクセスできないと、事件なのか、事故なのか、事故ならばどういう状況だったのか、死に至った経緯がわからない。これでは、“本丸”の1つである虐待事例を検証できなくなる。
これに関して、藤田さんはこう語った。
「必ずしもCDRは虐待防止のためだけじゃないですよね? 予測しうる子どもの死を防止する。自死、事故死、医療過誤も含まれます。子どもの死亡すべてをくまなく洗っていく全件調査がCDRではいちばん大事です。だから、虐待をなくすためにCDRというのはミスリードになると思います」
警察の捜査情報を共有せずに、CDRは成り立つのか。
「そこは、CDRの組み立て方によると思うんです。捜査情報を使わない制度設定をしたなら、虐待死は少なくともCDRから除かれるでしょう。刑事事件になるような死亡も除かれます。だけど、CDRでは虐待だけを知りたいわけではない。死亡する原因はほかにもいっぱいある。(警察情報の共有を省くなどした2年度目の)現行運用のままでもCDRを残しておくというのもありうる話だと思います」
実際、虐待による死亡や重篤な被害は、CDRの導入が検討される以前から「重大事例検証制度」で検証のレールに乗っていた。都道府県の児童福祉審議会の下に検証委員会が設置され、検証結果や提言は国に報告されている。児童福祉審議会は、ある程度強力な情報収集権限を持つ。集まる情報は膨大だ。

最初から虐待探しを目的にしているわけではない
ではCDRで虐待を扱う利点は何か。重大事例検証と何が違うのだろうか。
「どっちの方向から死亡を見ていくかだと思います。明らかに虐待だとわかっている場合、過去から現在に至るまで、どの時点で虐待だとわかったのかを見ていくのが重大事例検証です。逆に死亡からさかのぼって、『これ、虐待だったかも』と原因を究明していくのがCDR。双方からやっていくことで、より多くの虐待事例が発見されるかもしれません」
藤田さんは、CDR先進地のアメリカ・カリフォルニア州に視察に行ったことがある。そのとき、現地の検証委員会が最も注力していた対象は、自死と同一病院で相次いだ児童の死だった。
「委員会は最初から虐待を探してやろうと思って検証しているわけではありません」
虐待事案は適切なタイミングで第三者が介入していれば、命を救えたかもしれない。防ぎうる死であることは確かだが、藤田さんは、CDRの中で虐待を特別視すべきではないという。CDRはすべての子どもの死を網羅するからこそ、見落とされていたさまざまな気づきがある。
もちろん。虐待の可能性を探るには、捜査情報があるに越したことはない。ただし、CDRは予防のための策を講じることが目的であり、責任追及の場ではない。刑事責任を追及する警察とは目的が大きく異なる。
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