「学習」「科学」休刊後、名門出版社が甦った理由 積極的M&Aで「奇跡のV字回復」を実現

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先述したように、学研は創業以来、さまざまなチャレンジをしてきた。だが、挽回を期する施策が次々に失敗となり、気がつけば最大1000億円以上あった純資産の4分の3を食いつぶしてしまっていた。

弱り目に祟り目というべきか、企業が弱体化すると、そこに動きが起こる。そのうちの1つが、エフィッシモ・キャピタル・マネジメントによる買収騒動である。2008年1月、エフィッシモは学研株の保有比率を18.82%まで引き上げ、4月には遠藤洋一郎前社長の解任という意見を表明した。

当時、彼らの狙いは本社の不動産にあったのではないかと思う。株を買い占め、不動産を売るように仕向けてその利益で配当を得ようという狙いである。これに対し、当時の経営陣は弁護士とも密に連携を取りつつ、主に手紙で、先方の質問や提案に対応した。

苦しみながらも独立を維持

ほかにも、個別の事案に基づき、学研の株式を購入する会社があったが、その中には傘下に入るか否かを検討した企業もあった。具体的な社名はここでは触れないが、中にはほとんど決まりかけた話もある。学研が子会社となり、親会社の人間が社長になるという具体的な調整まで進んでいた。

だが、結局はすべての話が頓挫してしまった。最終的に先方の取締役会でストップがかかるのだ。ある会社の担当者から頭を下げられたことが印象に残っている。

「申し訳ありません。私がしかるべき立場になりましたら、この不義理は必ず解消しますので……」

いよいよ窮地に追い込まれたが、なぜか断られてほっとしている自分もいた。頭では他企業の子会社になるしかないとわかっていたが、学研には、やはり独立した企業であってほしかったのである。

もう1つの買収防衛策として検討したのは、MBOを行い、すべての発行済み株式の買い取りを自社で行って上場廃止するという選択だった。しかし、当時としてはかなり大胆な計画であり、収益計画も現実味を欠いていた。

取ることのできる選択肢はどんどん狭まって、最終的に残されたのは持株会社化の道であった。

ところが、当社が持株会社化を決定したところ、エフィッシモ側が反対の意を表し、株式の買い取りを求めてきた。それに伴い、買収価格の交渉のために面談を提案したところ、「裁判所に決めてもらいたい」と断られて、最終的には裁判で決着をつけることになった。

裁判では、当初の先方の主張よりも低い金額で株を買い取ることで合意をとれた。当事者の苦労には筆舌に尽くしがたいものがあったが、とにかく会社は守られたのである。

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