「学習」「科学」休刊後、名門出版社が甦った理由 積極的M&Aで「奇跡のV字回復」を実現

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さらには、商品の販売方法においてもイノベーションを起こしてきた。

学研は戦後に誕生した歴史の浅い出版社であったため、取次会社が書店に本を届けるという販売ルートでは商品を扱ってもらえなかった。

そこで苦肉の策として編み出したのが、全国の学校で行った学校販売、そしてその後の当時「学研コンパニオン(学研のおばちゃん)」と呼ばれた販売員が届ける独自の家庭訪問販売だった。

現在ではネットを介したコンテンツ販売が隆盛で、直販という販売方式は当たり前のように社会に浸透している。学研はこの分野でも時代を先取りしていたのだ。

チャレンジなくして成功なし

もちろん、そうしたチャレンジのすべてが成功していたわけではない。だが、チャレンジすることなくして、どうやって成功を手に入れることができるだろうか。

以下、年代順に主な学研のチャレンジを紹介していこう。

・1977(昭和52)年 『学研マイコーチ』を創刊し、中学生を持つ家庭に向けて直販組織を確立。

・1979(昭和54)年 『学習』『科学』が合計発行部数670万部を達成。

1980年代から90年代前半にかけては、アニメーションや映像の分野で数々のヒット作品を生み出した。

・1980(昭和55)年 アニメ『ニルスのふしぎな旅』が放送開始。毎週金曜日のゴールデンタイムにNHKで放送され、平均15~16%の高視聴率を獲得。

・1983(昭和58)年 映画『南極物語』をフジテレビジョンほかと共同製作。出演は高倉健氏、渡瀬恒彦氏ほか。配給収入は59億円、観客動員数は1000万人を超え、当時の「メガヒット」となった。

・1987(昭和62)年 映画『次郎物語』が夏休み映画として東宝系で全国一斉上映され、文部省選定の優秀映画に選ばれた。

・1990(平成2)年 映画『クライシス2050』をNHKエンタープライズと共同製作し、同作は日本映画界初のハリウッド進出作品となった。

さらには、時代の先をゆく教育システムも開発していた。

・1986(昭和61)年 専用コンピュータによる学習システム「まなぶくん」

・1996(平成8)年 マルチメディアの双方向学習システム「イマジン学園」

ここに列記した事業の中には赤字に終わったものもあるし、その後の約20年連続の減収の一因となった失敗もある。

だが、こうして新たな挑戦を果敢に続けつつ、その失敗を次に生かすことにも貪欲に取り組んできた。たとえば、売り上げが伸びなかった市販商品が、塾や教室事業の新サービス立ち上げに生かされた例がある。

一度失敗しても、決して簡単には終わらせない。しぶとく、たくましく、あの手この手で成功するまでやり続ける「やり抜く力」「やりきる力」が、これまでの学研を支えてきたのだと思う。

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