始球式は堀江貴文氏が行った。福岡北九州フェニックスのユニホームは2005年、球界再編時に堀江氏が仙台に作ろうとしていたライブドア・フェニックスのデザインを引き継いでいる。背番号「11」の縦じまのシンプルなユニホームに身を包んだ堀江氏は少し照れたような表情で、山なりのボールを投げ込んだ。
冷たい雨は降りやまず、その直後に開幕戦の順延が決まった。昨年の熊本での九州アジアリーグ開幕戦も雨天で順延した。天候には恵まれていないようだ。
西岡剛「早く北九州市で本拠地を持ちたい」
その後、西岡剛監督は囲み取材に応じ、以下のように語った。
「正直、そんなにたくさんお客さんが来てくれるとは思っていなかった。球団側が(大々的に)広告を出しているわけではなく、こっちで出会った人に“フェニックスというチームがあるんですよ”と声をかけただけだから、そんなに浸透していないように思った。去年も(独立リーグの)栃木ゴールデンブレーブスにいたので、200~300人が入ればすごいなと思っていたが、予想以上に多くのお客さんが来ていた(球団発表では815人)。特に地元・北九州市民の方が来てくれたことにはすごく感謝している。
まだまだ発展途上のチームなのでどこに行きつくかはわからないが、独立リーグはたくさんの企業さんに応援していただいている。ユニホームにもたくさんスポンサーの名前がある。プロ野球ならこんなことはない。でも僕たちはこのスポンサー企業のおかげで試合をすることができている。まずそういう方たちに感謝をしなければいけない。そしてもっと多くの方に応援していただけるチームを作らないといけない。
北九州には野球だけでなくすばらしい本拠地を持っているプロチームがたくさんある。僕たちは本拠地を持っていないので、早く北九州市で本拠地を持ちたいと思うが、本拠地がなくてもいい試合をお見せしたい」
若手選手の時代は「やんちゃ」な発言が目立った西岡だが、2018年にプロ野球を離れてからは苦労をし、意識が変わったのではないかと思った。
福岡北九州フェニックスは、17年前に堀江氏が一度は夢見たプロ野球チームの「再現」という一面がある。そしてプロ野球を退団した西岡剛にとっても「見果てぬ夢の実現」の場でもあるのだ。キーワードを上げるとすれば「リボーン(再生)」ということになるだろうか?
今季のヤマエ久野九州アジアリーグは、加盟3球団と福岡ソフトバンクホークス(三軍)との試合だけを公式戦としている。他の独立リーグとの交流戦は組んでいない。
翌20日は天気は回復し、プレイングマネジャーの西岡剛は「1番DH」で、チームで最初に打席に立った。この日の観客は1248人だった。
野球だけでなく、地域スポーツの「新たなビジネスモデル」を創出すべく、福岡北九州フェニックス、そしてヤマエ久野九州アジアリーグのシーズンが始まる。
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