「休日仕事してますアピール」が心を貧しくする訳 経済学者も陥った「幸福感蝕むワーキズム」の罠
公正世界仮説のもとでは、「自分は労働量を投じている」と明示することで、「自分にはきちんと支払いがされるべきだ」と暗示できます。自分が公正世界仮説を信じていなくとも、相手が信じているなら、それは合理的な行動です。
でもその流れは断ち切ったほうがよいでしょう。今後私が苦労とか多忙さをアピールすることはないし、他者がそういうアピールをしてもプラスには受け止めません。
これは他者の苦労に感謝しないとか、敬意をもたないという意味ではありません。私が言いたいのは、ある種のマッチョイズムとしての、多忙さや苦労のアピールとは無縁でいたいということです。そして価値に対して真摯でありたい。
脱タイム・プアは楽しい
時間の使い方を変えて、以前よりタイム・リッチになりました。気づいたのは、自分には「1人の時間」が必要だったということ。仕事の時間、家庭の時間、1人の時間、この3つのうち、一番犠牲にしていたのが1人の時間です。これを回復しました。
あと、これはまったく予想してなかったのだけど、タイム・プアを脱したときの仕事って、けっこう遊びに近いです。もともと自分は趣味を仕事にしたようなものなので、自分にコントロール感さえあれば、普通に楽しい。
結局、自分はこの本を読んで、時間の使い方が、つまりは自分や他者との接し方が、ていねいになったのだと思います。家族からの評判はよいです。人は、自分に身近な人間ほど雑に扱ってしまう、ということがあると思うんです。身近な人間ほど簡単には離れないから、それに甘えてしまう。でも身近な人を大切にすると、何せ身近にいる人との人間関係がよくなるので、幸福度が大きく上がります。
人間がもっているものって、究極的には時間だけだと思うのです。お金は使い果たしても生きていけますが、時間を使い果たしたときには死んでいる。だから時間こそ大切にしようよということです。
誰がこの本を読むとよいかというと、成功への意欲が強く、かつ「ワーキズム」や「タイム・リッチ」という言葉に心が反応した人でしょうか。いまはひたすら仕事をしたいとか、修行に没頭したいという人には、この本は必要ない。ただ、人生ずっとそういう状態でいるわけではないから、必要なときが来たらページをめくるとよいと思う。私の場合はいまがそうだった。
(構成:泉美木蘭)
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