エンタメ界の性的強要はなぜ根絶できないのか 呆れた実態、力を持つ人が陥る危険な思考回路
何より今回の騒動によって映画『蜜月』は、「性被害の加害者が、被害者の物語を撮る」という説得力のない作品になってしまいました。さらに、「榊監督は本当にいい作品を撮ろうとしていたのか」という映画に懸ける情熱すらも疑問視する声すらあがっています。
これらもリスクをイメージできなかったことの結果であり、榊監督にとっては痛恨でしょう。しかし、ダメージはこれだけにとどまらず、榊監督が培ってきたキャリアや、これまで関わってきた過去の作品にも傷をつけてしまったことになるのです。
家族の心を傷つけたことだけにとどまらない
プライベートに目を向けても、家族の心を傷つけたことだけにとどまりません。アーティスト活動をしている妻や、小中学生の娘2人に肩身の狭い思いをさせてしまいますし、友人・知人たちから距離を置かれることもありうるでしょう。榊監督がこれらのリスクを具体的にイメージできていれば、多少なりとも行動を抑制できたのではないでしょうか。
また、性的被害ではなく、前述した「ウィン・ウィン」の関係性に近い人も、同様にリスクのイメージをしておくことが必要。たとえば、職場や家族に知られたとき、両者の仕事に明暗が分かれたときなどは、相手が敵意むき出しの姿に豹変する可能性は低くないでしょう。
さらに、もし性的な関係性がなかったとしても、パワハラ、セクハラとみなされてしまうケースのダメージも少なくありません。仕事上で出会った異性は、どんなに笑顔を向けられていたとしても、リスクを排除することはできない存在。もし「合意の関係だった」としても、何かのきっかけで豹変されてしまったら、リスクにさらされてしまいます。たとえば、それが不倫であるかにかかわらず、「本当は嫌だった」「こんなことをされた」と告発されてしまったら、公私ともに悪影響は避けられないでしょう。
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