物議醸す「収容外国人の実名顔出し映画」が問う事 日本社会が見過ごしてきた入管施設の深刻実態

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初回上映の後の舞台あいさつで、アッシュ監督に笑顔はなかった。初日の感想を司会者に問われると、こんな言葉で返した。

「喜んではいない」

公開に関して喜びの感慨はないと言う。「こういう活動を喜んでやっているわけではなくて、しなければならない状態になっています」。表情は終始険しい。

アッシュ監督は、英国で映像技術を学び、2000年から日本を拠点に活動している。これまでに、放射能に汚染された福島の子どもたちを密着取材したドキュメンタリー映画「A2-B-C」(2013年)などを手掛けている。

入管問題に関心を持ったのは、2019年秋だった。教会の友人に誘われて牛久に行き、被収容者と面会したことがきっかけだったという。入管の問題は報道で見聞きする程度だった。ところが、「まるで刑務所」と感じ、ショックを受ける。

「刑務所より刑務所っぽい。刑務所でも(面会者と受刑者は)触れるし、ハグもできるし、こういうグラス(ガラス)なんかない。よっぽど何かの殺人事件とか、そういうことがない限り、あの、普通に。お部屋で、隣同士で座れて一緒に祈ったり、手を繋いだりハグもできる」

アッシュ監督はアメリカの刑務所と比べたのかもしれない。仕切りのない面会は、日本の刑務所では基本的にできないからだ。ただ、このような印象を持つのは彼だけではない。入管施設に面会に行き、「被収容者は受刑者ではないはず。なぜ刑務所のようなところに収容されているのか」と驚く人は多い。筆者もその1人だ。

ひたすら被収容者が現状と思いを語る

牛久の現実に打ちのめされたアッシュ監督は、「証拠集め」を始めた。

「人が死んじゃうんじゃないかと思って。目の前に、うつになって、自殺未遂をして(いる人がいたから)。ご病気になっても外の病院に連れて行かれない。死んでもおかしくない。死んだらなかったことにされないように、証拠を集めないといけない。神の使命感に応えて証拠を集めました」

証拠として被収容者の証言を記録し続けた。その記録をつないだのが『牛久』だ。作品にナレーションはない。出演者を守るためもあって、国籍や収容されたいきさつの説明もない。ひたすら被収容者たちが現状と思いを語る。

この日の舞台あいさつでは、牛久の元被収容者3人もマイクを握った。トルコのクルド人デニズさん、アフリカ系のピーターさん、セクシャルマイノリティのナオミさん。いずれもファーストネームを公表して作品に登場した人たちだ。現在は仮放免中である。

「入管のやり方はとても汚いです。ですけれども、それ、いつも隠している。で、日本中があんまりわからない。この映画は、このためにすごいすばらしい、思います」(デニズさん、日本語で)

「私のような経験がほかにあってはならないと思います。入管で収容されている人たちは人間です。犯罪者でもなく本当に人間です。ですので、このような社会を変えていくことを願っています」(ピーターさん、通訳を介して)

最後のナオミさんは、「心が、すごい痛いから……」と言ったきり涙で言葉が続かず、関係者に支えられて会場を後にした。

観客の前で語るナオミさん(中央)(写真:益田美樹)
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