モノが少ないほうが「料理の腕が上がる」納得理由 電子レンジは不要、「油と塩」さえあればいい
100日間で取り出した100のアイテムを種類ごとに分類すると、いちばん多かったのがキッチン用具や食器だった。全体のおよそ5分の1にあたる19個の道具を取り出している。また、レシピ本を2冊選んでいることからも、私の暮らしの中でいかに食が重要であるかがわかる。そりゃあ人間は食べなければ生きていけないから当然かもしれない。でも、料理をして皿に盛って食べる、という営みには、何かそれ以上の意味があるように思える。
食材を選んで買ってきて、道具を使って自分好みに調理し、お気に入りのお皿にのせる。その過程のすべてに、自分が自分であることがにじみ出る。趣味や娯楽よりも体に近い部分の感性が自然とはたらく。意識していなくてもきっと、この行動で癒やされている。
道具を使って思いどおりのものを作る。端的に言うとこれが料理の構造であり、暮らしの基本なのだ。暮らしの基本はクリエーティビティー。道具といちばんコミュニケーションをとっている瞬間でもある。
ミニマリストにならなくてもいい
シンプルライフは素晴らしかった。でも100日間の挑戦を終えて、さあこれからミニマリストとして暮らしていこう、とは、今のところ思っていない。ミニマリストはクールだ。もちろん否定するつもりはまったくないし、これからも憧れ続けて、そのエッセンスを日常に取り入れたいなと思う。
100日間で、色とりどりの暮らしの実感を得た。モノを減らすと決めることより、この実感を1つひとつ手放さないことのほうが重要だと感じている。なくていいと思うものはこれからゆっくり少しずつ減らしていけばいい。
長年の習慣に埋没してしまった感性を掘り起こすために、これまでの暮らしのスタイルとは違うものに取り組んでみたことが、これ以上ないよいきっかけになった。だから、ミニマリストにならなくてもいいと言っておいて真逆のことを主張するようだけれど、ミニマリストになる気がない人でさえ、一度ミニマリスト体験をしてみてもいい気がする。
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