神社や寺が「あんな場所」にある知られざるワケ 日本各地にある「聖地誕生」のルーツを探る
なぜ空海は高野山を真言宗の本拠地にしたのか?
世界遺産に登録されている高野山。現在でも、大阪から高野山までは電車を使って約2時間要するほどの山中にある。ましてや、鉄道や自動車などがない時代に、高野山を訪れることは並大抵の苦労ではないだろう。なぜ、このような不便な山中に空海は密教の根本道場の地に選んだのか。
高野山は和歌山県北東部に位置する山地だが、その地形は独特で、山上は標高1000メートル前後の峰々に囲まれた小盆地(約東西6キロ、南北2キロ)になっている。この地を真言密教の根本道場としたのが空海(774~835年)で、現在、山内には高野山真言宗の総本山金剛峯寺を中心に100以上の塔頭寺院が建ち並ぶ。なお、明治維新以前、金剛峯寺という寺号は高野山内の塔頭寺院の総称の意味で用いられていた。
空海が未開の原野だった高野山を密教の修行道場として開創することを決意したのは弘仁7年(816)だ。同年6月、空海は高野山の下賜を願うべく嵯峨天皇に上表文を提出した。この時代、僧侶の山林修行には官許が必要だったからだ。上表文の中で空海は次のようなことを述べている。
「密教経典には、深山の平地が修行にふさわしい場所だと説かれています。私は少年のころ好んで山河を渡り歩きましたが、平原の幽地であった高野山を訪ねたこともあります。そこは四方を高峰に囲まれ、人跡もみられません。国家のための道場とすべく、あるいは多くの仏道修行者のための道場とすべく、この荒地を切り拓いて、修行のための一院を建立したいと願っています」
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