神社や寺が「あんな場所」にある知られざるワケ 日本各地にある「聖地誕生」のルーツを探る

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なぜ空海は高野山を真言宗の本拠地にしたのでしょうか? 写真は高野山奥の院(写真:Yama/PIXTA)
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日本にはコンビニエンスストアの3倍以上の神社仏閣が存在する。人々の心の拠り所となってきた宗教施設は、人々の生活圏にあったほうが便利なはずだ。実際に、海外の多くの宗教施設はコミュニティの中心にあることが多い。ところが、日本に古くからある有名寺社は必ずしも利便性の高い場所にあるわけではなく、現在でも訪れるには多くの時間を要する「僻地」にあることも珍しくない。バラエティに富む地形を持つ日本では、なぜ、そのような場所に寺社が創建されたのか。そこには、地形的特徴や現在では使われない古代の交通路から見えてくる立地の「必然性」があった。『カラー版 地形と地理でわかる神社仏閣の謎』から、聖地誕生の秘密を一部抜粋、再構成し、お届けする。

なぜ空海は高野山を真言宗の本拠地にしたのか?

世界遺産に登録されている高野山。現在でも、大阪から高野山までは電車を使って約2時間要するほどの山中にある。ましてや、鉄道や自動車などがない時代に、高野山を訪れることは並大抵の苦労ではないだろう。なぜ、このような不便な山中に空海は密教の根本道場の地に選んだのか。

高野山は和歌山県北東部に位置する山地だが、その地形は独特で、山上は標高1000メートル前後の峰々に囲まれた小盆地(約東西6キロ、南北2キロ)になっている。この地を真言密教の根本道場としたのが空海(774~835年)で、現在、山内には高野山真言宗の総本山金剛峯寺を中心に100以上の塔頭寺院が建ち並ぶ。なお、明治維新以前、金剛峯寺という寺号は高野山内の塔頭寺院の総称の意味で用いられていた。

空海が未開の原野だった高野山を密教の修行道場として開創することを決意したのは弘仁7年(816)だ。同年6月、空海は高野山の下賜を願うべく嵯峨天皇に上表文を提出した。この時代、僧侶の山林修行には官許が必要だったからだ。上表文の中で空海は次のようなことを述べている。

「密教経典には、深山の平地が修行にふさわしい場所だと説かれています。私は少年のころ好んで山河を渡り歩きましたが、平原の幽地であった高野山を訪ねたこともあります。そこは四方を高峰に囲まれ、人跡もみられません。国家のための道場とすべく、あるいは多くの仏道修行者のための道場とすべく、この荒地を切り拓いて、修行のための一院を建立したいと願っています」

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