ベートーヴェンの「運命」本人は名付けてない驚愕 高い芸術性!東京藝術大学長のおすすめ4選
ところで、『運命』をはじめ、『英雄』『田園』『悲愴』『皇帝』『月光』など、ベートーヴェンの曲には印象的なタイトルがつけられていますよね。実はこれらのほとんどは、作曲者本人がつけたものではない「通称」であり、副題なのです。
『運命』は、ベートーヴェンの伝記の中で、冒頭の有名なフレーズの意味を尋ねられた彼が「運命はこのように扉を叩く」と答えたことに由来する……といわれていますが、本当に本人がそう言ったのかはさだかではありません。
『英雄』や『田園』は彼自身がつけた副題であることが筆写のスコア(総譜)や初版の楽譜から明らかですが、多くは後の世の研究者や演奏家、出版社がそれぞれの曲の特徴や、書かれた土地にまつわるエピソードなどをもとにつけたものが定着したといわれています。
「通称」によるメリット、デメリット
ベートーヴェン以外の作曲家の作品にも、こうした通称や副題がつけられた曲はたくさんあり、中には、その通称のせいで曲の内容や解釈に誤解を招く例もあります。
チェコ出身で民族主義的な音楽活動(国民楽派)を行ったアントニン・ドヴォルザークの代表作である交響曲第9番は、『新世界より』として知られていますが、これも本人がつけたものではなく、アメリカで黒人や先住民の民謡と母国の音楽の様式を使いながら書かれた曲ということでつけられた通称でした。
それはまだいいのですが、一時期『イギリス』と呼ばれていた交響曲第8番は、イギリスをイメージした曲でもなんでもなく、単にイギリスの出版社との出版契約があったことに由来するものだそうです。私が若い頃に買ったレコードなどには、確かに『イギリス』という通称が書かれていたように記憶していますが、今はさすがに使われなくなっています。
しかし、有名な通称や副題があることは、悪いことばかりではないようです。通称や副題は曲の番号に比べて印象が強いので、演奏会などで「ああ、あの曲をやるんだね」とイメージしやすく、動員にもつながりやすいという利点もあるのです。
このように、通称はなんとなく微妙な存在ではありますが、多くの方に覚えて聴いていただけるのであれば、作曲家も許してくれるのではないでしょうか。
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