「紅三代」の憧れは、ジャック・マー 80年代生まれの革命エリートが漏らす本音

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――経済的自由を手に入れたら何をしたい?

もし、自身の金融組織をもてるくらい傑出した企業家になれたら、この社会のある側面を動かすようなことをしたいと思う。

――Eコマースという市場から中国社会の問題に立ち向かってきたジャック・マーのように?

そう。彼と同じ方法をとるとは限らないけれど、彼はすばらしいと思う。もし彼ほどの人物になれば、人々は僕の言うことに耳を傾けるようになるでしょう。

あるいは、この国の政治が将来的にもっと開放され、場合によっては多党制が実現するようなことになったら、僕は民主と法制のためのことをしようと思う。

でも人には天命というものがある。僕には信仰はないけれど、この世は奇妙な法則で動いていると感じている。それは僕がどうにかできるものではない。ならば僕は今の仕事に励むだけだ。そしていつかチャンスが巡ってきたとき、または果たさなければならない責任が生じたとき、自分のすべきことをしようと思う。

――さきほど出た経済的自由というのは、どの程度のもの?

僕が世界のどこかの国に行っても全く心配をしなくて済むくらい。

――移民をするということ?

今すぐではないけれど、時期が来たらおそらく。なぜならこの国には「安全感」がないから。

中国人が儲けることに一生懸命なのは、カネがある程度の「安全感」をもたらしてくれるためだ。でも民主と法制のない社会が、私有財産を絶対に侵さないとは信用できない。

法律に尊厳を

それだけでなく、たとえば少し前にあるメディア関係者が売春で捕まったことがあった。中国の法律で拘留期間は15日間までと決められている。でも彼は半年も拘留された。誰もそれについて声を上げようとしない。

もちろん売春をしていいわけはない。しかしこんな処罰が許されるということは、法制の基礎がますます失われていると感じる。法律に尊厳がない。これはとても重要なことだ。僕は日本には行ったことないけれど、日本では少なくとも「安全感」がないことを心配しなくて済むでしょう。でも僕らはそうじゃない。

多くの人が、改革開放以来、「安全感」が失われたと感じている。でもそれは違うと思う。改革開放前は、誰もが「安全感」について話すことができなかっただけだ。ほんのちょっとしたことで、自分より上のもの、あるいは権力を持つ者によって侵害された。今よりも状況は悪く、いわゆる「安全感」というものが存在すらしなかった。

僕はこの国がより理性的になり、人を尊重するようになって、社会により多くの「安全感」をもたらすことを願っている。

田中 奈美 ルポライター

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たなか なみ

東京都生まれ。2003年より北京に留学。中国の社会生活やビジネスに関するルポを各紙誌に発表。著書に『北京陳情村』(第15回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作)『中国で儲ける―大陸で稼ぐ日本人起業家たちに学べ』(新潮社)がある

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