アメリカのトランプ前大統領は「プーチンは天才的だ」と外交手腕を称賛し、「自分が相手なら彼は今回のような行動には出なかったはず」といつもの自画自賛のメッセージを流した。
自身も2月11日にモスクワを訪問したイギリスのベン・ウォレス国防相は、ロシアの軍事侵攻阻止のため宥和策を土壇場で示す西側の外交努力について「ミュンヘンの気配がする」と述べ、物議を醸した。
ロシアの軍事侵攻を警告したウォレス氏は、「彼(プーチン)が戦車のエンジンを切るだけで、私たちは皆、家に帰れるが、西側のどこかからミュンヘンの気配が漂っている」と付け加えた。
失敗の宥和策だったミュンヘン協定の二の舞?
「ミュンヘンの気配」とは第2次世界大戦前夜の1938年9月、ドイツ系住民が多数を占めるチェコのズデーテンの領有権を主張するドイツのアドルフ・ヒトラー総統に対し、イギリスとフランスの首脳が、これ以上の領土要求を行わないことを条件に、ヒトラーの要求を全面的に認めたミュンヘン協定を指す。
ところが、ヒトラーは停戦協定を破ってチェコに侵攻し、欧州を第2次大戦に引きずり込んでいった。イギリス、フランスを手玉に取られた外交として知られ、ナチスドイツの覇権を一挙に拡大させた「失敗の宥和政策」として語り継がれている。戦争回避を取り付けたイギリスのチェンバレン首相やフランスのダラディエ首相が英雄気取りで帰国する中、ヒトラーは2人がいかに愚か者かと周辺に漏らしていたことが知られている。
プーチン氏がすでにウクライナへの侵略に熱心である中で、ウォレス氏の発言は弱腰の欧州首脳の外交努力は効果がないとの不満の声でもあった。この発言に対し、イギリス国内では戦争の可能性が最高度に高まる中でプーチン大統領を刺激するとして、適切でないとの批判の声も上がったが、指摘は的中した。
一度は米露首脳会談実現の功労者になろうとしていたマクロン大統領は、プーチン氏の想定外の行動で冷や水を浴びた状態に陥った。同時にプーチン氏が外交交渉で一枚も二枚も上手なことを見せつけ、マクロン氏は自らの甘さとプーチン氏にとってのフランスの存在の低さを思い知らされた。
それでも4月にフランス大統領選の出馬期限が迫る中、続投を狙うマクロン氏は、外交得点なしに出馬表明する事態に陥っている。
野党候補らは最有力候補とされるマクロン氏への攻撃材料と見なし、マクロン外交の失敗として攻勢を強めている。フランス通信社AFPは「フランスの敗北」と指摘した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら