韓国経済は1980年代、製造業を中心に発展し、活況を呈しましたが、1988年のソウルオリンピックの頃から経済がやや傾き始めました。当時、韓国は安い製品を作って輸出していたわけですが、経済発展に伴って給与水準などが上がる中で、価格面で台湾やインドネシアなど他国の製品と比べて競争力が落ちていたからです。
競争が厳しくなるにつれて、経済目標の達成が難しくなり、韓国政府は目標を維持するためにどうするか考える必要がありました。時を同じくして、1993年、金泳三大統領が多くの規制を撤廃し、多くの杭と自由貿易の合意を結びました。そしてその翌年の1994年、あることが起きます。
スティーブン・スピルバーグ監督の『ジュラシックパーク』が韓国で大ヒットし、まさか映画がこんなに儲けられるのか、という驚きで迎えられたのです。映画が現代の自動車より売れるのか、と。この時、韓国政府や企業はエンターテインメント産業の経済的価値を強く認識したわけです。
アジア通貨危機後、アイドルの数が増えた
その後、韓国政府はエンタメ業界に投資し、韓国映画、テレビドラマ、ミュージシャンなどが続々と誕生しました。1994年にはテレビの規制緩和も行われ、放送局が増えました。つまり、コンテンツを流す場所が増えたわけです。
1996年に最初のK-POPバンド、H.O.Tが誕生。彼らはシステマティックに訓練され、システマティックに売り出され、そしてシステマティックに管理された初めてのアイドルです。その直後、初のK-POPの女性アイドルグループ、SESがデビューします。こうしたアイドルは人気、ビジネス的に大きな成功を果たしました。
その後、1997年のアジア通貨危機によって韓国経済は大打撃を受け、国内の製造業の4分の3が破綻に追い込まれました。一方で2000年代に入ると、より多くのK-POPアイドルが誕生していきます。
私から見ると、これは偶然ではありません。韓国の大手芸能事務所SMSエンタテインメントが、1990年代前半にK-POPのシステムを築きあげるわけですが、これはタイミングとしてはパーフェクトだったと言えます。民間企業は次の“ビッグゲーム”を探していました。経済を再構築したいと考えていた政府にとってもK-POPはパーフェクトな存在になりました。
――そうした中で、女性アイドルグループの存在に注目しています。
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