日本と中国の不安定な関係を招いている根本構造 経済的相互依存の深化が軍事的緊張の増大に

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また、日本の同盟国であるアメリカは、解放軍による現状変更の試みを座視しない姿勢を強めており、日米同盟の機能強化、「アジア基軸戦略」の採用、アジア太平洋地域への戦力の重点配備、南シナ海における「航行の自由作戦」の遂行、対中「関与」政策の見直し、QUAD(日米豪印4カ国戦略対話)やAUKUS(米英豪安全保障協定)の立ち上げ、といった対抗手段を講じてきた。

重要な経済パートナーである中国が同時に安全保障上の懸念材料と化しているというジレンマは、日本のみならずアメリカ・インド・オーストラリア・ベトナム・フィリピンにも共有されている。

対峙の起源は1950年代

アジア太平洋を舞台にした中国と日米の安保面での対峙が1990年代以降深刻化したことに鑑み、こうした対峙は中国の経済発展と軍事力増大に伴って出現した新たな問題と認識されやすい。しかし、対峙の起源を求めるには、1950年代にまでさかのぼらなければならない。

1945年8月に第2次世界大戦が終結すると、中国では中国国民党と中国共産党による内戦が再燃し、ソ連から大規模な支援を受けた解放軍がアメリカから限定的な支援しか得られなかった国民党の軍隊を大陸から駆逐した。当時のアメリカは、中国内戦に深入りするのを避けようとする姿勢が顕著で、1949年に国民党の残存勢力が台湾に撤退すると、台湾海峡不干渉宣言を発表した。このため、ソ連からの援助によって解放軍が強力な海軍・空軍を手に入れれば、台湾の陥落は時間の問題とみられていた。

ところが、1950年に勃発した朝鮮戦争は、アメリカの姿勢を一変させた。このとき、アメリカは、ソ連を盟主とする社会主義陣営が東アジアで攻勢に出ているという認識に基づき、朝鮮半島に派兵を行うと同時に、台湾海峡に第7艦隊を派遣し、1954年末に台湾の国民党政権(「中華民国」)との間で米華相互防衛条約を締結した。このようにして中国内戦は、冷戦体制に組み込まれ、台湾海峡を境界線として中華人民共和国と中華民国という2つの中国が併存する状態(分断国家)が固定化した。

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