安倍政権を再検証「画期的だった若者重視」の裏側 小泉純一郎は浮動層の人気をつかむ目標を達成
細る組織票
浮動層、無党派層等と呼ばれる固定的な投票先を持たない有権者に対し、いかにアプローチするか。これが、平成期に入った自民党にとって切実な課題であった。その背景には、同党にとって、固定票あるいは組織票と呼ばれる安定した票田が細りつつある、という現実があった。多くの団体が、1990年代の前後で集票力を落としている。
例えば、自民党の代表的な友好団体である農協の組織内候補についてみると、1980年参院選(全国区・大河原太一郎)で約113万票を集めていたのに対し、2001年参院選(比例区・福島啓史郎)では17万票以下に激減している。
固定票の減少は、複合的かつ構造的な要因によるものである。そもそも、日本社会の「脱組織化」が進み、団体に加入する人が少なくなった。また、バブル崩壊後の政府財政の悪化によって、各業界向けに分配される「パイ」(例えば建設業界にとっての公共事業費)が縮小し、各団体(メンバー)にとって政治活動のうまみが失われた点も指摘されている。
こうした状況で、1990年代末、自民党は創価学会の組織票を期待し、公明党と連立政権を組むようになった。以降、とくに衆院選の小選挙区では、自民党候補に融通される公明党支持層の票が、絶大な威力を発揮してきた。しかし、創価学会の集票力もまた、年々低下の傾向にあると指摘されている。また、いくら公明党と選挙協力をしても、政治状況によっては、自民党が政権から転落する可能性があることは、2009年に証明されたとおりである。
かくして、自公連立後もなお、浮動層の支持をつかむこと、あるいは少なくともこの層の人気を特定野党に集中させないことが、自民党にとって死活的に重要な問題であり続けた。2000年衆院選に臨んだ森喜朗総裁が、「無党派層は寝ていてくれればいい」という趣旨の発言をしたのは、こうした危機感の表れであった(そして自民党は案の定、この選挙で無党派層の票を民主党に奪われ、都市的選挙区で惨敗している)。