安倍政権を再検証「画期的だった若者重視」の裏側 小泉純一郎は浮動層の人気をつかむ目標を達成

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ついで2001年4月に自民党総裁となった小泉純一郎は、浮動層の人気をつかむという目標を、一時的ではあれ、あざやかに達成している。「ワンフレーズ・ポリティクス」「劇場型政治」「ポピュリズム」等と呼ばれる手法で、小泉首相はテレビメディアを通して有権者に軽妙に語りかけ、とりわけ都市住民の間で人気を博した。

小泉の政治手法の特徴が最もよく表れ、効果を生んだのが、2005年の郵政民営化をめぐる政局である。ここで首相は、自民党内の民営化反対議員を離党に追い込み、衆院解散後は造反議員の選挙区に著名人の「刺客」候補を立てるなどして、「小泉改革推進派」対「抵抗勢力」という二項対立の構図を演出した。

ワイドショーなどでは連日、こうした政局が面白おかしく報じられ、有権者の強い関心を集めた。結果、衆院選の投票率は伸び、小泉自民党が300議席獲得に迫る地滑り的勝利を収めた。投票率が前回(2003年衆院選)から上昇したのはとくに都市部においてであり、そこで自民党が高得票率をあげている。

しかし、この郵政政局/選挙のような劇的な展開は、小泉の政権党内における独特の立ち位置(もともと「自民党をぶっ壊す」と主張して総裁になった)と天才的な政治技術によって可能となったのであり、余人に容易にマネできるものではなかった。小泉退任後、自民党への「風」は途端に吹き止み、つづく2009年衆院選では、都市部無党派層の票を民主党に奪われ、政権交代となってしまう。

ターゲットを若年層に

安倍率いる自民党は、内紛で自壊した民主党から、2012年末に政権を奪い返した。第1次内閣(2006年9月~2007年9月)を短命で終わらせていた安倍は、再び政権を担うにあたり、選挙・世論対策について深刻に考えたに違いない。

1つには、減りつつあるとはいえ、残された組織・団体票を、確実に取ることである。小泉政権は意図的に(組織化されていない)無党派層の人気に依存し、その原因であり結果でもあったが、全国郵便局長会のような自民党の伝統的な友好団体を容赦なく傷つけ、離反させた。

そしてこのことが、2007年参院選──第1次安倍内閣退陣の一因ともなった──で自民党が惨敗した1つの要因と分析されていた。こうした認識に基づき、第2次安倍政権は、友好団体との関係が再び緊密なものとなるよう配慮したとされ、その成果として、各団体は集票面で着実に自民党に貢献している。

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