私たちは、無意識に伝統の老舗企業で手抜きなどあるわけないと考えてしまいがちです。日本の伝統工芸の職人と聞くと、どうしても意識が高く崇高なものと見てしまいます。もちろん、意識も技術も高い人は大勢いるのは事実でしょう。一方で、全部が全部そうだと決めつけるのは、間違っています。
これは伝統工芸を保護・支援する政策という点からも、モラルハザードを生む可能性があることを示唆しています。支援する主体(文化庁など)が専門知識を有し、伝統工芸の価値を評価する明確な基準がなければ、伝統工芸をひとくくりにして、補助金を提供していくしかありません。
しかし、その結果、何とか新しい価値を作り出そうと努力している伝統工芸も、そうではなく単にフリーライドしている伝統工芸も、すべて支援の対象として一緒くたに含まれてしまう。それが本来、予算対効果が高い伝統工芸にきちんとした予算が行き渡らないという結果を生むことになるのです。
「文化財を残していって、その技術を伝えていくためにはどうしても予算が必要ですが、日本全国の国宝、重要文化財として指定されている建造物修理予算はたったの81.5億円です。この限られた予算が、手抜きを作ったという現実もあります。職人を雇って、育てて、素晴らしい仕事をさせるには、私はこの予算を200億円に増やす必要があると分析しています。経済効果を見れば、公共投資の中で大した金額ではないし、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮の経済効果を考えると、公共投資の優等生だと思います」
一方で、そもそも伝統工芸で「残すべきもの」「残さないもの」を単純に線引きするということ自体がとても難しいことだとアトキンソンさんは指摘します。
「どこまでが伝統工芸になって、どこまでが伝統工芸でないのか。ちょんまげは残ってませんよね? 平安時代に革靴を作っていた人は間違いなくいましたが、今はいません。伝統工芸とは、現代社会で否定されている技術として定義されているから、伝統工芸として守るべきものになっているわけですよね。漆はジャパニーズペンキで、西洋からペンキがやってくるまで一般的に使われていました。それまでは普通のいわゆるペンキだったわけです」
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